会社概要

会社名 MERCYCHANプロモーション株式会社

住所

〒325-0011栃木県那須塩原市寺子917番地(登記上の住所)
火災により仮事務所へ移転・・・
移転先住所: 〒329-2745那須塩原市三区町633-29ガーデンハイツA-201
電話 0287-46-5206
ファックス 0287-46-5208
代表者 児玉春信
取扱商品 ステッカー、人生好転!!、名入れサンキュウシール、レターハートライン 意識革命喚起商品群全部を見る
設立年月日
2003年9月1日

  
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「貧乏神」を「福の神」にしてしまった甚平

優しく思いやりのある人間になる方法

世界一こころ豊かで挑戦力のある元気な日本を創ろう!!

あなたの人生への応援詩

地球を捨てて、太陽になれ!! 
  福の神   

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索引  (興味のある所が簡単にみられます)

嫌われ者で超マイナスの「貧乏神」を愛した甚平の物語

ものごとは合理的な考え方だけではなく、一見マイナスに見えることでも違った視点や受け止め方、対応によってプラスに変わることもあるのです。人生の困難や逆境などのマイナスの状況になった(又はある)場合、こんな考え方をすることによって新たなる道が開けてくることもあります。そんな考え方から創作した物語です。そしてどんな人間にも一つは良いところがあるという信念で考えた物語です。

新しい人間観 作者 児玉春信

 昔々、ある年の新年に、ある町の神社で、貧乏神と福の神が一緒に酒を飲んでいました。貧乏神が「また、新しい年がやってきた。今年はどの家に住み着こうかなぁー。」と、言いました。すると福の神が「私も今、同じことを考えていました。私はみんなから歓迎されますが、貧乏神さんは私のようにはいかないでしょう? 」と、言いました。すると貧乏神が「そうなんですよ。俺はいつも嫌われ者で、厄介ものですからねぇ。福の神さんがうらやましいですよ。俺のことなど、歓迎してくれる人間は一人もいませんよ。貧乏神の商売はやるもんじゃないですよ。でも、先祖代々続いているので仕方なくやっているのです。」と、言いました。すると福の神が「でもね、貧乏神さん。人間は、なぜ、私を歓迎し、愛してくれているかわかりますか? それはねぇ、私が住み着くと金持ちになるからなんですよ。それが分かっているから、歓迎し、愛してくれるのですよ。私がひとたび、病気などになったりして、人間を金持ちにする力がなくなると、人間は豹変して、私を貧乏神扱いし、袋叩きにして、追い出してしまうのですよ。病気の看病はまったくしてくれません。」と、言いました。それを聞いていた貧乏神は「そんなもんですかねぇ、人間は。役に立たないと思ったら、捨ててしまったり、欲望が満たされないと、すぐ頭にきたりと、まったく情けない生き物ですねぇ。いつごろからこんな性格に変わってしまったのでしょうかねぇ。まぁ、中にはこんな人間ばかりではないと思いますがねぇ。所詮、長い間には、いい時もあれば、悪い時もあるのにねぇ。」と、言いました。すると福の神は「損得を中心に考える人間は多いですよ。そうでもしなければやっていけない、ということもあるのでしょうねぇ。人間がこんなふうになったのは、何でもかんでも、ほしいものはすぐに手に入ってしまうためと、我慢ということを忘れてしまったからですよ。また、損得でしか、物事の価値を考えられなくなってしまったのですよ。人間が何でもほしいものをすぐに手に入れることができなくて苦労していた大昔は、こんな条件付の愛情ではなかったのですよ。損得や欲望は無条件の愛情を人間から奪ってしまいますねぇ。今の世の中と人間の心が壊れていくのはこんなことも関係があるかもしれませんよ。私の商売も安心していられないですよ。健康を維持し、人間の機嫌をとり、だまし、だまし、かわいがってもらわないと生きていけない時代になりました。」と、言いました。すると貧乏神は「福の神も大変ですねぇ。表面だけを見ても分からないものですねぇ。」と、言いました。そんなことを話しているうちに両神様は酔いも回ってきて、寝てしまいました。

貧乏神が「貧乏神大歓迎、福の神お断わり」という前代未聞の看板を発見!!

何時間かたって、酔いもさめ、目を覚ました両神様は、この一年間の住みかを探しに、町の家々を回ることにしました。町の人々は軒下に「福の神大歓迎、貧乏神お断り」という看板を立てていました。それを見た貧乏神は「今年も、俺を歓迎してくれる家はなさそうだ。早々と神社へ帰ってやけ酒でも飲むか。」と、独り言を言って帰っていきました。帰りは時間もあったので、町から少し離れた、隣村を回ってから帰ろうと考えました。そして、隣村の家々の軒下にも「福の神大歓迎、貧乏神お断り」という看板が立ててありました。しかし、村はずれの一軒家だけは「貧乏神大歓迎、福の神お断り」というまったく逆の看板を立てていました。貧乏神は自分が間違って読んでしまったのではないかと思い、目をこすり、こすりして、この看板の近くまで行って、よぉーく、見てみました。しかし「貧乏神大歓迎、福の神お断り」と、なっていました。何回見ても、間違ってはいなかったのです。そして心の中で「変わった家があるもんだなぁ。この商売を長年していて、こんな看板を見るのは初めてだ。この家はいったいどんな人間が住んでいるのだろうか。」と、思いました。興味をそそわれた貧乏神は、その家を訪ねることにしました。そして、その家の玄関の前に立って「こんにちは。貧乏神ですが、看板に大歓迎ということが書いてあったのでお訪ねしました。」と、言いました。すると家の奥のほうから一人の男がやってきて「やっときてくださいましたね。何十年もこの看板を出していたのですが、だれも信じてくれなくて、訪ねてくれる貧乏神様はいませんでした。あなたが初めてです。さぁ、さぁ、遠慮なくあがってください。」と、言いました。貧乏神は一瞬半信半疑でしたが、すぐに我に帰り「それでは遠慮なくお邪魔します。」と言って、その家に上がってしまいました。貧乏神はその家の座敷に通され、上座の座布団の上に座らせられました。そしてそこの家の男が「よく来てくださいました。お待ち申し上げておりました。私は甚平というただの百姓でございます。きょうは一晩うちに泊まっていってください。たいしたものはありませんが、精一杯おもてなししたいと思います。どうぞ、ごゆるりとおすごしください。」と、言いました。その言葉を聞いた貧乏神は思わず耳を疑いました。そして「甚平殿、俺も長いこと貧乏神をやっているが、こんな経験は初めてだ。お前さんは一体何を考えているんだ。俺には見当もつかん。」と、貧乏神が言いました。すると甚平は「いやぁ、貧乏神様、私はへそ曲がりでして、みんなが福の神、福の神、と言って、福の神だけが神様だと思っているので、そうではないよと、貧乏神様もりっぱな神様だよと。人間にどんなに嫌われている貧乏神様でも、必ずいいところがあるにちがいないと、私は前々から考えていたのです。たとえ、貧乏神であっても、神様は神様なので、粗相にしてはならない、というのが、私の考えです。そして機会があったら一度ゆっくりお話がしたかったのです。」と、言いました。それを聞いていた貧乏神は「こんな嫌われものの俺の話を聞いてみようなんて人間がいたとは・・・。」と、言いました。すると甚平は「まぁ、まぁ、きょうは理屈ぬきでゆっくりしていってください。今、うちの母ちゃんが風呂をたいていますので、沸いたらまず一番風呂に入ってください。風呂に入ってから酒を飲みましょう。」と、言いました。そして台所のほうから「父ちゃん、風呂沸いたよ!」と、言う声がしました。甚平は「母ちゃん、お前も貧乏神様にあいさつしろ。」と、言いました。すると台所の方から、母ちゃんがやってきて「貧乏神様、よく来てくださいました。私は”ソデ”と申します。きょうはたいしたものはありませんが、ゆっくりしていってください。お風呂が沸きましたのでまずは風呂に。」と、母ちゃんが言いました。貧乏神は「それではお言葉に甘えて。」と言って、風呂へ入りにいきました。甚平は母ちゃんに「風呂に入っている間に、酒とご馳走を用意してくれ。」と、言いました。すると母ちゃんは「はい、わかりました。」と言って、台所の方へ行ってしまいました。

腹が減ったらおまんまで元気、精神はプラスエネルギーキャラ軍で元気

貧乏神、生まれて初めて酒と御馳走でもてなされる

ごちそう 

母ちゃんは、貧乏神が風呂に入っている間に、宴会の用意をすべて終わらせました。貧乏神が風呂から上がってきて座敷の座布団に座ると「甚平殿、こんなにご馳走していただいて何か申し訳ない気持ちです・・・・うっ、うっ、うっ・・・。」と、言い終わらないうちに、貧乏神の目から涙が出てきたのでした。貧乏神は今まで、人間にはいつも邪魔者にされ、しいたげられて、誰からも愛されたことがなかったのです。そのため、甚平が心から歓迎し、もてなしてくれていることに感激して、自然と涙が出てきたのでした。それを見ていた甚平は「貧乏神様、きょうはそんな今までのいやなこともすべて忘れて、おおいに飲みましょう。さぁさぁ、まずは酒でも。」と言って、甚平は貧乏神に酒をついでやりました。それから、二人で、さしつ、さされつ、酒をかわしていきました。お互いに、かなり酔ってきたとき貧乏神が「甚平殿、どうして俺みたいな嫌われものをこれほどまでにもてなしてくれるのですか。」と、聞いてきました。すると甚平は「私は、最初に言ったとおり、へそ曲がりなんですよ。人からそっぽを向かれている者や、嫌われ者に、妙に興味がありましてねぇ。人が見向きもしないものの中にも、必ず一つぐらいは、いいところがあるのではないか、と思っているのですよ。そんないいところを発見することが私の楽しみなのですよ。ですから、私がこんな変な看板を出すと、村中の人が``甚平は変人だ``と言って、いつも酒のさかなにされて馬鹿にされていますよ。村の子供までが私の姿をみると``あ!変人がきた``と、言っているくらいですからねぇ。でもいいんです。私は人がなんといおうと、自分のこの考え方を大事にしていこうと思っているんですよ。」と、言ったのです。これを聞いた貧乏神は「甚平殿は本当にかわっていますねぇ。俺はこんな人間に会ったのは初めてです。俺のことを神様として認めてくれたのはあなたが初めてです。うっ、うっ、うっ、うっ・・・。」と、また泣いてしまいました。すると甚平は「きょうはおおいに泣いてください、貧乏神様。今までのうっせきしたものを全部涙とともに流してさっぱりしてください。」と、言いました。すると、益々貧乏神は大声で泣きました。そしてしばらくすると甚平が「貧乏神様、きょう一晩といわず、ずぅーと、うちにいてくれませんか。うちの神棚に住んでいてください。」と、言ったのです。それを聞いた貧乏神は「本当にいいのですか、甚平殿。おれはれっきとした貧乏神ですよ。こんな俺でも本当にいいのですか。」と、念を入れて聞いてきました。それにたいして甚平は「かまわないです。貧乏神様がよろしければ、ずぅーと、うちにいてください。」と、言いました。すると貧乏神は「それでは、俺は甚平殿のうちにいることに決めました。」と言ったのです。甚平は「ああ、よかった。よかった。」と言って、喜びました。そんなことを言い合っているうちに二人は酔いがまわり、寝てしまいました。

貧乏神、遂に福の神の心になる

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翌朝、目が覚めると、貧乏神には布団がかぶせられていました。そして甚平が起きてきました。「貧乏神様、ゆっくり休まれましたか。」と、甚平が聞いてきました。それに対して貧乏神は「おかげさまで、ゆっくり休むことができました。ありがとうございました。」と、お礼の言葉を甚平にかけました。こんな感謝の言葉を貧乏神が口にしたのは、この商売をして、初めてのことだったのです。それを聞いた甚平は「ああよかった。貧乏神様に喜んでもらってほんとうによかった、よかった。」と、また喜んでくれていました。貧乏神はこんな甚平の人柄にすっかりまいってしまって、本業の「人間を貧乏にする」ことなど、すっかり忘れていました。かえってこの甚平を何とか人一倍、幸せにしてやりたい気持ちになってきたのでした。
こんなことがあってから約一ヵ月後のある日、玄関に大きな声が響いていました。貧乏神は何がおきているのだろうと、玄関にいってみました。するとそこには高利貸しの借金取りが着ていたのです。何でも、ひとのいい甚平は友達の借金の連帯保証人になっているということでした。友達は借金を返せず、どこかに逃げてしまっていました。そこで借金取りは、甚平に返済を迫っていたのでした。甚平は責任を感じて、だいぶ返済したのですが、高利のため、返しても、返しても、元金は減らなかったのです。そんなことを母ちゃんから聞いた貧乏神は一肌脱いでやりたくなりました。そして貧乏神は借金取りに「やいやい、借金取り!! 俺はこのうちにお世話になっている本物の貧乏神だ。甚平はだいぶ返しただろう。ほとんど、元金は返しているだろう。こんなあくどい取立てはもうやめろよ!!」と、借金取りに言いました。すると借金取りは「お前には関係ないことだ。口出ししてもらいたくないねぇ!!」と、言いました。すると貧乏神は「そうかい、そうかい。おれの言うことが聞けないと言うのか。よし、分かった。俺はお前のうちに住み着いて、お前を徹底的に貧乏にしてやる。それでも俺の言うことが聞けないのか!!」と、少し語気を強め、借金取りを脅したのです。すると借金取りは「貧乏神にはかなわねぇや。徹底的に貧乏にされたのでは元も甲もない、まいった、まいった。こんな貧乏神が住み着いている家なんかに二度とくるもんか。」と言って、甚平の家からとっとと、退散してしまいました。そんなことを傍観していた甚平は「貧乏神様、ありがとうございました。助かりました。」と、言いました。すると貧乏神は「いやいや、甚平殿が何の下心もなく、純粋無垢な心で俺をもてなしてくれたので、何か甚平殿の役に立ちたかったのです。こんな簡単なことに喜んでもらって、俺もうれしいです。」と、言いました。甚平はすかさず「貧乏神様にもこんないいところがあったのですねぇ。ありがたいことです。」と、言いました。貧乏神は「いやいや、これも甚平殿の人徳です。俺の力ではありません。ところで、甚平殿、本当に、ずぅーと、このうちにいていいですか。」と、言いました。甚平は「ずぅーと、末永く、うちにいてください。こちらからお願いします。」と、返答しました。これを聞いた貧乏神は心の中に「甚平殿は、今の世の中にはなかなかいない、本当に貴重な人だ。こんな人間を貧乏にするわけにはいかない。何とか、人一倍幸せにしてやりたい。」という気持ちが、益々大きくなってきました。このとき、貧乏神が「福の神の心」を持ってしまった瞬間でした。「福の神の心」になったということは、すでに貧乏神ではなくなってしまったことを、意味していました。
そんなことがあってから、甚平はやることなすこと、どういうわけか、すべてうまくいき、見る見るうちに村一番の長者になってしまいました。村の人達は、甚平が長者になったのは貧乏神を歓迎して、もてなしたからだ、と思っていました。そんなわけで、村中の人達が「貧乏神大歓迎、福の神お断り」という看板を、甚平の真似をして、軒下に立てました。しかし、甚平と同じことをやってもいいことは起きませんでした。むしろ、どんどん、貧乏になっていきました。村人は「どうして同じことをしているのに、いいことはおきないのだ。」と言っては、長者になった甚平をうらやましく思ってくらしていったとさ。   おしまい


※あなたはこの物語を読んでどんなことを感じましたか?この機会に少し考えてみませんか。

 

貧乏神は人間を貧乏にする神様です。貧乏は誰でもなりたくありません。しかし、貧乏神の表面的なところだけを見ていては貧乏神の真意をつかむことはできません。貧乏神は貧乏神で、本当は人間に大切なことに気付いてもらいたいと思っているのです。金やモノが豊かになることを「福」といいます。しかし、「福」の裏に潜むマイナス価値は金やモノ、親、食べ物、空気などなどの本当のありがたみを見失う場合があるということなのです。そこで貧乏神が登場して、人間を貧乏にして金やモノ、親、食べ物、空気などなどのありがたみを心の底から分からせようとするのです。そして人間は金やモノ、親、食べ物、空気などなどの本当のありがたみを心の底から分かったとき「本当の心の豊かさ」を得るのです。そしてそれを得て、少しでも「福」をつかんでいけば内面的にも充実した一つの人生が開けてくるのです。貧乏神をこのように考えると、貧乏神をもあなたの人生の味方につけることができるのです。

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村人を救った、役立たずの大男

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作者 児玉春信
「いじめ」は人の心を傷つける「人権侵害」にあたる悪いことです。自分にしてもらいたくないことは、人にしないでください。今だれかをいじめている人は即刻いじめをやめましょう。「いじめ」が悪いことだと分かってもらいたいと思って考えた物語です。「いじめ」は相手を死に追いやることもある恐ろしい「凶器」だ、という自覚が必要です。「いじめ」は言葉の刃物という凶器なのです。

「心の毒消しはいらんかね~~」GFIT法のメリット

昔々、下野(しもつけ)の国(今の栃木県)、那須地方の山あいのある村に、毎日毎日何も働かずに、大食いしては寝るだけの生活を繰り返している「役立たずの大男」が住んでいました。名前は「吾作」と、言いました。百姓の「せがれ」、として生まれました。子供のときから大食いしては寝るだけでしたので、体だけは大きくなったのです。何と身長は約九尺三寸(約2メートル80センチ)もありました。村の人達は名前で呼ばないで「役立たずの大男」「役立たずの大男」と馬鹿にして、いじめていました。

新しい人間観

 ある日のこと、この吾作が住んでいる家の前を村の子供たちが通りかかりました。子供たちも大人の真似をして、吾作のことを「役立たずの大男」「役立たずの大男」と、言って馬鹿にして、いじめていました。時には吾作めがけて石を投げつけるときもありました。しかし、吾作は怒らずに、ただ黙って我慢していました。

 吾作の唯一いいところは、心が優しいところだったのです。この吾作の父ちゃんと、母ちゃんは「もう吾作に何を言っても無駄だべぇ。」とあきらめていました。何とか働いてもらいたいと思って、大人になってからいろいろと助言したりしていました。しかし、何の効果もありませんでした。吾作は病気じゃないかと思って、田んぼや、畑仕事を休んでは、いろいろな医者に診てもらったり、いろいろな神様に診てもらったりしましたが、どこへ行っても「何の病気もありません。」と言われていました。しかし、吾作の親は村の人達がどんなに馬鹿にして、いじめていても「お前のいいところは心根が優しいところだべぇ。」と、言って、吾作のいいところをほめていました。そして「きっといつかお前も人様の役に立つときがくるだ。」と、言っては励ましていました。また「人間は極楽浄土に行く前に一回は人様のためになるようないいことをしなければならねぇだ。」と教えていました。吾作の親は子供たちがいじめているのを発見したとき「こらあー!! 人を馬鹿にするのでねぇ!!」と大声を出して子供たちを追っ払ってくれていました。また、時々、近くのお寺にいき、阿弥陀如来様に「どうかこの子が、いつか人様のためになる、人間になりますように。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。」と、言ってお祈りしていました。お寺の住職も一生懸命にお祈りしてくれていました。吾作と親はこのお寺だけが心休まるところでした。

腹が減ったらおまんまで元気、精神はプラスエネルギーキャラ軍で元気

 この村は毎年のように大雨が降り、田んぼや、家が水をかぶり、何らかの被害をこうむっていました。村の治水事業はお金がなく、いっこうに進みませんでした。

 そんなある年の夏の夜に、今まで経験したことのない物凄い大雨が、茶臼岳や那須高原を中心とした那須連峰の山々に降ったのです。村にはほとんど降りませんでした。大きな川の近くに住んでいる、村の住人の武八が「大変だ!! 大変だ!! 大水が村に押し寄せてくるぞ!! 今、寝ていたら川の上流から大きな石がゴロゴロと転がってくる音を聞いた。俺の死んだバッパ(おばあさん)から石が転がってくる音は水が大きな石を押し流す音だ、と言っているのを思い出した。そして、それを聞いたらすぐに高台へ逃げろ、と言っていた。早くみんな逃げろ!! 早く逃げろ!!」と村を回っては叫び続けました。そして半鐘を人に頼んで鳴らし続けてもらいました。カンカンカーン、カンカンカーン・・・・・・。けたたましく半鐘が鳴り響きました。このことは吾作の家にも聞こえました。そして村の人達と一緒に高台のほうへ逃げました。しかし、途中まで行くと、村はずれの、小さな河に架かっていた、高台まで行ける、ただ唯一の橋がすでに流され、そこの河を渡ることができません。上流に降った雨がすでにこの河を増水させていたのです。河の水深もすでに約10尺強(約3メートル)になっていました。この河幅はそんなにありませんでした。しかし、この河は人間の力では飛べない河幅だったのです。しかし、吾作が手を少し伸ばせば向こう岸に届くほどの河幅でした。この河を渡らなければ安全な高台へ避難できません。村の庄屋の平蔵が「大変だ、大変だ。みんなここで死んでしまうぞ。何かいい知恵はないか。」と叫びました。しかし、この暗闇と大水が迫る恐怖で、村の人達は気が動転していて、そんなことに答えられる人は、一人もいませんでした。子供は泣きじゃくり、女、年よりは絶望感で顔色がありません。そんな時、何と、何とあの「役立たずの大男」とみんなに馬鹿にされ、いじめられていた吾作が突然「俺が橋になる!! 俺が少し手を伸ばせば、ちょうどいい橋になる。みんな、俺の足と背中と手を渡って、向こう岸に逃げてくれ!!」と大声で叫びました。みんなはびっくりしました。あの「役立たずの大男」が急にこんなことを言ったので、一瞬みんなは信じられないと言うような顔をしていました。そして吾作は「まごまごしていると時間がなくなるぞ!!」と、言って、すぐに自分の両足を河岸にある木に縛るように、と言いました。運よくちょうど河岸には木が一本あったのです。両手は向こう岸に行って縛ることができませんので「河の向こう岸の草にしがみつく。」と言いました。村の人達は一瞬きょとんとしていましたが、すぐに我に返り、吾作のいうとおりにしました。幸いなことに、縄を持って逃げた人が一人いました。吾作は「もう時間がない!! 俺の両足をまず木に縛ってくれ!! 縛ったら俺は倒れて向こう岸の草を手でつかむ!! もし、つかみそこねたら、俺の体をみんなで引っ張ってくれ!! 又やってみる!!」と、言ったのです。村の人達は、すぐに吾作の言うとおりにしました。縛り終えると、吾作は向こう岸に倒れこみ、草に手をかけましたが、失敗してしまいました。すると、吾作は「俺を引っ張れ!!」と大きな声で叫びました。村の人達は必死になって引っ張り、そして引っ張り終わったら吾作は又、向こう岸に倒れました。今度はしっかりと草にしがみつくことができました。吾作は「早く渡れ!! 早く渡れ!!」と大声で叫びました。そして女、子供、年寄りを先に一人ずつ渡りました。みんなは涙を流しながら渡ったのです。そして多くの村人が「俺はお前を馬鹿にして、いじめていた。勘弁してくれ! 勘弁してくれ! 」と、何回も何回も、吾作に謝りながら渡ったのです。渡り終わった人は、草にしがみついている吾作の手を、何人かして引っ張って「がんばるんだ!! がんばるんだぞ!!」と吾作を励ましました。吾作の手を引っ張っている人の中にも「今までのことは許しておくれ!! 許しておくれ!!」と、何回も何回も、涙を流しながら謝っている人もいました。その間、吾作は必死になってこらえ続けました。そしてみんなが渡り終わったとき「早くみんな逃げろ!!」と、言いました。すると庄屋の平蔵が「お前を何とか助けることを考えているのだ。」というと、吾作は「俺のことにかまうな!! 時間がない!! 早くしないと大水が押し寄せてくるぞ!!」と言ったのです。両足は木に縛られているのでどうにもなりません。村の人達も必死になって吾作の手を引っ張っていたのですが、吾作は自分から払いのけ、手を草から離して顔から増水している河に落ちてしまいました。少しすると、吾作は死んでしまいました。その光景を見ていた村の人達は、みんな大声で泣きました。中には、泣きながら、手を合わせている女の人もいました。しかし、もう一刻もこの場所に立ち止まっている時間はありません。村の人達は急いで安全な高台へと避難しました。その直後に大水が村を襲ったのです。間一髪で村人は助かったのです。村のみんなは「吾作さん、命を救ってくれてありがとう。ありがとう。」と、いつまでもいつまでも、涙を流しながら天を見上げて、お礼を言っていました。

 

大水から何日か過ぎて、ようやく落ち着きを取り戻した、ある日、吾作の葬式が村の寺で執り行われました。村の人達は死んだ吾作の親のところへ行って、今まで吾作を馬鹿にして、いじめてきたことを謝りました。そしてお寺の阿弥陀如来さまにも自分たちが今まで吾作にしてきたことを謝りました。そしてこの悲しい出来事があって、村の大人や子供たちの全員が「人をいじめること」と「人を馬鹿にすること」が本当に悪いことで、罪深いことであることに、はじめて気付いたのでした。それ以来、村の誰一人として人を馬鹿にしたり、いじめたりすることは、なくなりました。そして村人の命を救った吾作はそれ以来、この村の英雄として永代にわたり語り継がれました。河の橋のところに石碑が建てられ、「村の英雄、吾作ここに眠る」と刻まれ、ことの始終もその石碑に刻まれました。助けた村人の人数は151名でした。村の人達はその後、治水事業に力を入れて安全な村になり、みんな幸せになりました。   おしまい

 

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むらびとをすくった、やくたたずのおおおとこ

「いじめ」はひとのこころをきずつけるわるいことです。
じぶんにしてもらいたくないことは、ひとにしないでください。
このものがたりは「いじめはわるいことだ」とわかってもらいたいと
おもってかんがえたものがたりです。

さくしゃ こだまはるのぶ

 むかしむかし、しもつけのくに(いまのとちぎけん)、なすちほうの、やまあいのむらに、まいにち、まいにち、なにもはたらかず、おおぐいしては、ねるだけの、せいかつを、くりかえしている「やくたたずのおおおとこ」が、すんでいました。なまえは「ごさく」と、いいました。ひゃくしょう、の「せがれ」として、うまれました。こどものときから、おおぐいしては、ねるだけでしたので、からだだけは、おおきくなったのです。なんとしんちょうは、やく九しゃく三ずん(やく2めーとる80せんち)もありました。むらのひとたちは、なまえでよばないで「やくたたずのおおおとこ」「やくたたずのおおおとこ」と、ばかにして、いじめていました。

 ある、ひ、のこと、この、ごさくが、すんでいる、いえのまえをむらのこどもたちが、とおりかかりました。こどもたちも、おとなのまねをして、ごさく、のことを「やくたたずのおおおとこ」「やくたたずのおおおとこ」と、いって、ばかにして、いじめていました。ときには、ごさく、めがけて、いしを、なげつけるときも、ありました。しかし、ごさく、は、おこらず、ただ、だまってがまんしていました。

ごさく、の、ゆいいつ、いいところは、こころが、やさしいところだったのです。この、ごさく、の、とうちゃんと、かおちゃんは「もう、ごさく、に、なにをいってもむだだべぇ。」と、あきらめていました。なんとか、はたらいて、もらいたいとおもって、おとなになってから、いろいろと、じょげんしたりしていました。しかし、なんのこうかもありませんでした。ごさく、は、びょうき、じゃないかとおもって、たんぼや、はたけしごとを、やすんでは、いろいろな、いしゃに、みてもらったり、いろいろな、かみさまに、みてもらったりしましたが、どこへいっても「なんのびょうきもありません。」と、いわれていました。しかし、ごさく、の、おやは、むらのひとたちが、どんなにばかにして、いじめていても「おまえのいいところは、こころね、が、やさしいところだべぇ。」と、いって、ごさく、の、いいところをほめていました。そして「きっといつかおまえも、ひとさまのやくにたつときがくるぞ。」と、いっては、はげましていました。また「にんげん、は、ごくらくじょうど、に、いくまえに、一かいは、ひとさまの、ためになるようなことを、しなければならねぇだ。」と、おしえていました。ごさく、の、おやは、こどもたちが、いじめているのを、みつけたときは「こらあー!! ひとをばかにするのでねぇ!!」と、おおごえ、を、だして、こどもたちを、おっぱらってくれていました。また、ときどき、ちかくのおてらにいき、あみだにょらいさまに「どうかこのこが、いつかひとさまのためになる、にんげん、になりますように。なむあみだぶつ。なみあみだぶつ。」と、いって、おいのりしていました。おてらの、じゅうしょくも、いっしょうけんめいにおいのりしてくれていました。ごさく、と、おやは、このおてらだけが、こころやすまる、ところでした。

 このむらは、まいとし、のように、おおあめ、がふり、たんぼや、いえが、みずをかぶり、なんらかの、ひがいを、こうむっていました。むらの、ちすいじぎょうは、おかねがなく、いっこうにすすみませんでした。

 そんなあるとしの、なつのよるに、いままで、けいけんしたことのない、ものすごいおおあめが、ちゃうすだけ、を、ちゅうしんとした、なすれんぽうの、やまやまに、ふったのです。むらには、ほとんど、あめは、ふりませんでした。おおきなかわのちかくにすんでいる、むらのじゅうにんの「たけはち」が「たいへんだ!! たいへんだ!! おおみずが、むらにおしよせてくるぞ!! いま、ねてたら、かわのじょうりゅうから、おおきないしが、ごろ、ごろ、と、ころがってくる、おと、をきいた。おれの、しんだ、ばっぱ(おばあさん)から、いしがころがってくる、おと、は、みずが、おおきないしを、おしながす、おと、だ、と、いっているのを、おもいだした。そして、それを、きいたら、すぐに、たかだい、へ、にげろ、と、いっていた。はやくみんなにげろ!! はやくにげろ!!」と、むらをまわっては、さけびつづけました。そして「はんしょう」を、ひとにたのんで、ならしつづけてもらいました。かんかんかーん、かんかんかーん・・・・・・。けたたましく「はんしょう」が、なりひびきました。このことは、ごさく、の、いえにもきこえました。そして、むらのひとたちといっしょに、たかだい、のほうへ、にげました。しかし、とちゅうまでいくと、むらはずれの、ちいさなかわにかかっていた、たかだい、までいける、ただ、ゆいつの、はしが、すでにながされ、そこのかわをわたることができません。じょうりゅうに、ふったあめが、すでに、このかわを、ぞうすいさせていたのです。かわの、すいしんも、すでに、やく十しゃくきょう(やく三めーとる)になっていました。このかわはばは、そんなにありませんでした。しかし、このかわは、にんげん、の、ちからでは、とべないかわはばだったのです。しかし、ごさく、が、てを、すこしのばせば、むこうぎしに、とどくかわはばでした。このかわをわたらなければ、あんぜんな、たかだい、へ、ひなん、できません。むらのしょうやの、へいぞう、が「たいへんだ、たいへんだ。みんなここでしんでしまうぞ。なにか、いいちえ、は、ないか。」と、さけびました。しかし、この、くらやみと、おおみずが、せまるきょうふで、むらのひとたちは、きがどうてんしていて、そんなことに、こたえられるひとは、ひとりもいませんでした。そんなとき、なんと、なんと、あの「やくたたずのおおおとこ」と、みんなにばかにされ、いじめられていた、ごさくが、とつぜん「おれがはしになる!! おれがすこし、てを、のばせば、ちょうどいいはしになる。みんな、おれの、あしと、せなかと、て、をわたって、むこうぎしに、にげてくれ!! 」と、おおごえ、で、さけびました。みんなはびっくりしました。あの「やくたたずのおおおとこ」が、きゅうに、こんなことをいったので、一しゅん、みんなは、しんじられない、というような、かおをしていました。そして、ごさく、は「まごまごしていると、じかんがなくなるぞ!!」と、いって、すぐに、じぶんのりょうあしを、かわぎしにある、き、にしばるように、と、いいました。うんよく、ちょうどかわぎしには、き、が、一ぽんあったのです。りょうて、は、むこうぎしにいって、しばることができませんので「かわのむこうぎしにしがみつく。」と、いいました。むらのひとたちは、一しゅん、きょとんと、していましたが、すぐにわれにかえり、ごさく、のいうとおりにしました。さいわいなことに、なわを、もってにげたひとが、ひとりいました。ごさく、は「もうじかんがない!! おれの、りょうあしを、まず、き、にしばってくれ!! しばったら、おれは、たおれて、むこうぎしの、くさを、て、でつかむ!! もし、つかみそこねたら、おれのからだを、みんなでひっぱってくれ!! またやってみる!!」と、いったのです。むらのひとたちは、すぐに、ごさく、のいうとおりにしました。しばりおえると、ごさく、はむこうぎしにたおれこみ、くさに、て、をかけましたが、しっぱいしてしまいました。すると、ごさく、は「おれをひっぱれ!! 」と、おおきなこえで、さけびました。むらのひとたちは、ひっしになってひっぱり、そして、ひっぱりおわったら、ごさく、は、またむこうぎしに、たおれました。こんどは、しっかりと、くさに、しがみつくことができました。ごさく、は「はやくわたれ!! はやくわたれ!!」と、おおごえ、でさけびました。そして、おんな、こども、としよりを、さきに、ひとりずつわたりました。みんなは、なみだをながしながら、わたったのです。そして、おおくのむらびとが「おれはおまえをばかにして、いじめていた。かんべんしてくれ! かんべんしてくれ! 」と、なんかいも、なんかいも、ごさく、にあやまりながら、わたったのです。わたりおわったひとは、くさに、しがみついている、ごさく、の、て、をなんにんかして、ひっぱって「がんばるんだ!! がんばるんだぞ!!」と、ごさく、をはげましました。ごさく、の、て、をひっぱっているひとのなかにも「いままでのことは、ゆるしておくれ!! ゆるしておくれ!!」と、なんかいも、なんかいも、なみだをながしながら、あやまっているひともいました。そのあいだ、ごさく、は、ひっしになって、こらえつづけました。そしてみんなが、わたりおわったとき「はやくみんなにげろ!!」と、いいました。すると、しょうやの、へいぞう、が「おまえを、なんとかたすけることを、かんがえているのだ。」と、いうと、ごさく、は「おれのことにかまうな!! じかんがない!! はやくしないと、おおみずが、おしよせてくるぞ!! 」と、いったのです。りょうあしは、き、にしばられているので、どうにもなりません。むらのひとたちも、ひっしになって、ごさく、の、て、をひっぱっていたのですが、ごさく、は、じぶんからはらいのけ、て、を、くさからはなして、かおから、ぞうすいしているかわに、おちてしまいました。すこしすると、ごさく、はしんでしまいました。そのこうけいをみていた、むらのひとたちは、みんな、おおごえ、でなきました。なかには、なきながら、て、をあわせている、おんなのひともいました。しかし、もう一こくも、この、ばしょに、たちどまっているじかんは、ありません。むらのひとたちは、いそいで、あんぜんな、たかだい、へと、ひなん、しました。その、ちょくごに、おおみずが、むらをおそったのです。かん一ぱつで、むらびとはたすかりました。むらのみんなは「ごさく、さん、いのちをすくってくれてありがとう。ありがとう。」と、いつまでも、いつまでも、なみだをながしながら、てん、をみあげて、おれいをいっていました。

 おおみずから、なんにちかすぎて、ようやく、おちつきをとりもどした、あるひ、ごさく、のそうしきが、むらのてらで、しめやかに、とりおこなわれました。むらのひとたちは、しんだ、ごさく、のおやのところへいって、いままでの、ごさく、をばかにして、いじめてきたことを、あやまりました。そしてこのおてらの「あみだにょらいさま」にも、じぶんたちが、いままで、ごさく、にしてきたことを、あやまりました。そして、このかなしいできごとが、あって、むらのおとなや、こどもたちぜんいんが「ひとをいじめること」と「ひとをばかにすること」が、ほんとうにわるいことで、つみぶかいことであることに、はじめてきづいたのでした。それいらい、むらのだれひとりとして、ひとをばかにしたり、いじめたりすることはなくなりました。そしてむらびとのいのちをすくった、ごさく、はそれいらい、このむらの、えいゆうとして、えいだいにわたり、かたりつがれました。かわのはしのところに、せきひが、たてられ「むらのえいゆう、ごさく、ここにねむる」と、きざまれ、ことの、しじゅう、も、その、せきひに、きざまれました。たすけた、むらびとの、にんずう、は151、めい、でした。むらのひとたちは、そのご、ちすいじぎょうにちからをいれて、あんぜんなむらになり、みんなしあわせになりました。  おしまい

 

ダイヤモンド魂になれると約束された「石ころの甚八石」

精神的向上と人格の陶冶(とうや)

あなたの人生を「守る」「支える」「応援する」商品群紹介

©2017H.Kodama

あなたの目標達成方法

【逆境に負けるな】

今、困難に直面している方々、今望んでもいないのに何らかの苦労している方々、今何らかの課題に直面している方々、今不安を抱えている方々、今何か知らないがもやもやしたものがある方々、津波等の災害で喪失感等をお持ちになっている方々等々、要するに今何らかの苦難に直面して悩んで苦闘している方々すべてに贈る物語です。

石

 時は西暦2017年早春のころ、あるところの道端に二つの石ころが転がっていました。その一つは「甚八石(じんぱちいし)」と言う名前でした。もう一つは「甚助石(じんすけいし」」と言う名前でした。そのころ、いい天気の朝一に甚八石が甚助石に「我々もここに転がって来て早2,500年たったなぁ。いろいろな生き物が多く歩いて行ったが、我々に見向きもしないし、さっさと通り過ぎるだけで、誰も拾ってみようともしない。手に取って見ようともしない。ましてや声をかけてくれるものもいない。まったく寂しい限りだなぁ。石に生まれるものではないなぁ」と言いました。それを聞いていた甚助石は「そりぁそうだよ、甚八石ちゃん。我々はただの石ころ(煩悩多き我々人間)だ。そんなどこにでもあるただの石ころに誰も興味はないよ。しかし、数が多くなれば大きな力を発揮することができるよ。道普請等に使われ役に立つ。一個ではだめだが、まとまれば世の中の役に立つということだよ」と甚八石に言いました。その言葉を聞いた甚八石は「そりゃそうだ。それにしても現金なもので我々がもしダイヤモンドだったら我先にきっと誰もが拾うだろうなぁ」と甚助石に言いました。甚助石はそれを聞いて「甚八石ちゃん、当たり前じゃないか。ダイヤモンドは我々とは月とすっぽん、雲泥の差、提灯と釣鐘だよ。なんてったって一個でも価値が違う。ダイヤモンドはそんじょそこらにあるしろものではない。育ち(生成過程)が違うからなぁ」と言いました。すると甚八石は「そうだよなぁ。そんな愚痴や不満を言ったって何も変わらないよなぁ」と寂しく言いました。それ以外にもいろいろなことを両石は言い合いました。そんな言い合いをしているうちに夜になってしまいました。

あなたへのメッセージ総まとめ

腹が減ったらおまんまで元気、精神はプラスエネルギーキャラ軍で元気

 あたりはすっかり暗く静かになり甚八石と甚助石は眠くなってきたので同時に寝てしまいました。そして夜も深まったころ、この両石が寝ている枕元に天の神様がみすぼらしい格好で降りてきました。天から降りてきた神様は「甚八石君、甚助石君、わしは天の神だ。今すぐ起きなさい!!」と何と寝ている両石に向かって大きな声で叫びました。その大きな声を聞いた両石は、その声に驚き、目を覚ましました。そして甚八石がこの天の神様に向かって「何か大声が聞こえたので、起きてみたらみすぼらしいお爺さんじゃないか。なんか用事でもあるのか?」とみすぼらしかったのでついつい敬意も払わずに乱暴な言葉を発してしまいました。するとすかさず神様は「何を寝言いっているのだ!! 外見で人を判断したらだめだ。まずは誰にでも敬意と感謝の気持ちで接しなさい。わしを誰だと思っている、わしは天の神だ!!」と甚八石に言いました。それを聞いた甚八石は「えー!? 天の神様だって。本当に!? それは失礼しました。無礼をお許しください。でも何でこんなところに来られたのですか?」とすぐに神様に丁寧な言葉で謝り、質問しました。すると甚助石も驚いてすぐに「失礼しました。お許しください。でも何でここに・・・?」と甚八石と同じようなことを言ったのです。その言葉を聞いた神様は「仕方がない、わしが急に勝手に現れたからなぁ。わしにも責任はある。まぁ、そんなことはどうでもいいのだが、きょうの朝、お前たちが話している内容を、耳を澄まして天から聞いていたのだ。そしてそれを聞いて、いてもたってもいられなくなってここに降りてきたのだ。わしがここに来たのには一つの提案があるからだ。それを聞いてもらいたくてここにきたのだ。どうだ、その提案を聞いてもらえないだろうか?」と両石に言ったのです。それを聞いた甚助石が「それにしてもよく聞いているものですねぇ、たまげました。それで我々に提案とは一体何でしょうか?」と驚いた様子で神様に逆に質問しました。すると神様が「わしはすべてのものが話した内容を天から聞くことを一つの仕事としている。だからどんなに内緒話や悪口でも、誰が何を言ったかはすべて解っている。そしてすべてのものの思いも解っている。それらはすべて帳面に記帳している。まぁ、わしの宣伝はそれぐらいにしておいて、わしの提案を単刀直入に言う。それはなぁ、お前さんたちがダイヤモンドにあこがれているみたいなので、お前さんたちを外見はダイヤモンドではないが、内面をダイヤモンド魂にしてやりたいという気持ちになったのだ。外見はそのままのただの石だが、目には見えないお前さんたちの魂をダイヤモンドのように強くキラキラと明るくひかり輝く雑念妄想のない、何事にもとらわれない、しなやかなすばらしい魅力ある魂にしてやりたいということじゃよ。もしかしたら、外見だけのダイヤモンドより魅力が出てくるかもしれんぞ。そんな魅力あるダイヤモンド魂になるためには一つの条件がある。それはわしの言うことを聞くかどうかだ。それがわしの提案だ」と言いました。それを聞いていた甚八石は一番関心を持ったと見えて「えー? 本当にダイヤモンド魂になれるのですか? もし、なれるとしたら一体どういう条件ですか?」と真っ先に質問しました。すると神様は「わしがお前たちを苦難の道に案内するのでその道を通るかどうかだ。直面する苦難から逃げないで、その問題と真正面から闘う覚悟があるかどうかだ」と言ったのです。突然そんな話を神様がしたものですから両石は面食らってしまいました。しばらくして落ち着いた甚八石が「苦難の道ですか? そんなわざわざ苦難の道を行くというのは苦労が多いということですよねぇ?」と神様にまた質問しました。それを聞いた神様がすぐさま「そうじゃ、苦労するということだ。昔から“苦労は若いうちに買ってでもしろ”と言うじゃないか。そうすれば逆境に対する免疫力が出来る」と間髪入れずに返答しました。それを聞いた甚助石が「苦労をわざわざするなんて馬鹿馬鹿しい。そんなことやっていられない」と言いました。甚八石はそれを聞いてしばらく考え込んでいました。そして「神様、どうして苦難の道を行けばダイヤモンド魂になれるのですか?」と一番関心を持ったものらしい質問をしました。すると神様が「お前たちがここにじっとしていても、何の成長もしないし、何も得るものがないのがふびんに思えてきたのだ。せっかくこの宇宙の中の天の川銀河の太陽系の地球という惑星に誕生しながら2,500年もの間、何の変化もしないで一生を終わるのがなんだかかわいそうにもなってきたのだ。苦難の道は確かに苦しい。しかし、苦難が実はお前たちの魂を磨いてくれる砥石になるのだ。お前たちもどんどん魂を磨いていけば最後にはダイヤモンド魂になれるのじゃよ。それを約束しよう」と力強く断言したのです。それを聞いた甚八石は「何だか面白そうだ。我々も2,500年もここに居座っているが何の変化もない。2,500年たってもただの石だ。このままただの石に終わりたくなくなってきた」と言ったのです。それを聞いた甚助石が「甚八石ちゃん、頭がおかしくなったのか? そんなわざわざ苦難の道を行かなくても、毎日楽をして生きていこうよ。俺はそんな苦難の道は嫌いだ」と言ったのです。それを聞いた神様は「今、この場で結論を出さなくてもいい。明日また来るから返事はその時でいいよ。

分かれ道

ただし、一度下した決断は撤回することは出来ない。変更は出来ないということだ。確かに苦難の道は苦労が多いが、その苦労はさっきも言ったが逆境に打ち勝つ強力な抗体をつくって人生を生き抜くための免疫力をつけてくれる。ちょうど体の中に侵入した悪玉のウィルスをやっつけ病気に勝利する免疫力みたいなものだ。目には見えないがこんな利益もある。苦労に負けると酒、女(又は男)、薬物、ギャンブル等におぼれたりする場合もある。最悪、心の病になり突然自殺する場合もある。夜も眠れなくなってしまうかもしれない」と両石に言いました。それを聞いた甚八石は「なるほど。はい、解りました。明日までに甚助石ちゃんと相談しておきます」と神様に返答しました。それを聞いていた甚助石が「仕方がないが、何だかうさんくさい話だがそうしよう」と言いました。すると神様は「うさんくさいとはわしに向かって言う言葉ではないぞ」と神様は甚助石に優しく諭(さと)しました。すると甚助石は「それは失礼しました。つい、本音が出てしまいました。お許しください」と神様に謝りました。それを聞いた神様は「本音とは何だ!!」と少し大きな声で怒りました。しかしすぐに「甚助石君は人の話を何でも悪いほう、悪いほうに考える癖があるなぁ。まぁ、それも仕方がない。今、年寄りを電話等でだます特殊詐欺がはやっているからなぁ。前は“おれおれ詐欺”だったが今は還付金詐欺や株式、社債等にまつわる投資話だ。コンビニに行って携帯電話を使って登録番号と称する番号をATMに押させて金を振り込ませたりする。この押している番号は詐欺グループの振り込み先の口座番号と振り込む金額等だ。キャッシュカードや通帳、ATM、登録番号、実在する証券会社名、何々が金をとりに行く等の言葉や話が出たらそれは詐欺だ。あとはいろいろな役割をした人物が電話をしてくる場合もある。弁護士、警察官、厚生労働省、社会福祉協議会、国民消費者センター等々それらしき役人等に化けてもっともらしいことを演じる。そういうのはすべて詐欺だ。そんなそれらしき人から直接電話はこない。だから、電話での金に関する話や郵便で送付されてくるパンフレット等で金にまつわるものには手を出さないことだ。金が戻る話も詐欺だ。詐欺グループの連中がよく使う言葉に“法的手段”や“逮捕される等”の言葉がある。これも詐欺だ。詐欺グループは何かの名簿で電話してくるので電話番号等を変えて防ぐことも出来る。世の中は悪徳グループもたくさんいるからうかうかしていられないのも事実だ。昔の人は“人を見たら泥棒と思え”と言ったがこれは一つの真実だ。警戒しなさいという一つの身を守るための注意喚起と考えればいい。今の時代すべて“人を見たら神様と思え”とはなかなかいかない。要は各自しっかりしなければならない時代だということだ。常に第六感を働かせていなくてはならない時代になったということだ。まぁ、こんな世の中だから再度言うが、うさんくさいと思われても仕方がない。明日また来るよ」と神様は今の世相を両石に長々と話して、最後に何やらメモを甚八石に渡して姿を消しました。そのメモを受け取った甚八石はそれを読みました。そしてそれを読み終えると小さな声で「なるほど、なるほど」と独り言を言ったのです。その独り言を聞いていた甚助石は「甚八石ちゃん、そのメモには何が書いてあるの?」と聞いてきました。すると甚八石は「後で教えてあげるよ」と返答したのでした。そして両石は相談を始めました。

 開口一番甚助石が「今は大変な世の中になったものだなぁ。神様が言っていた詐欺グループも手の込んだことを考えるもんだ。そんなことを考える頭があるなら、その頭を世の中の役に立つことに使えばいいのにねぇ」と言いました。それを聞いた甚八石は「甚助石ちゃんもたまにはいいことを言うねぇ」と言いました。そしてすかさず甚助石がそんなほめてもらったことは意に介さず「甚八石ちゃん、さっきも言ったがお前は馬鹿か。そんな神様の言うことを信用しているのか? わざわざ苦難の道を行けば苦難が砥石になるって? そんな馬鹿なことがあるか。苦難の道を行けば苦しいことばかりさ。毎日毎日そんな苦しいことで生活していくなんて馬鹿馬鹿しい。そんなこと俺はいやだ、ましてや、外見がダイヤモンドになって美しくキラキラ光るのではなく、内面の魂がダイヤモンドになったところで何の得もない」と現実的な甚助石に戻って否定的なことをまくしたてました。それを聞いていた甚八石は「甚助石ちゃん、確かにお前さんが言うのも解る。しかし、何といっても神様がそう言っているので信用するしかない。お前さんがそう言ったのでは信用しないが、なんてったって神様が言っているのだから信用するしかないのだ。そして確かに外見はただの石で何の変化もないが、内面の魂が美しくキラキラと明るくひかり輝くことが本当の美しさじゃないかなぁ。そうすれば全体からかもし出されるものが普通と違ってきて、石自体が生き生きとしてくると思う。神様も言っていたが本物のダイヤモンドより価値が上がるかもかもしれないよ。心の内部の本当の魂から強くてキラキラと明るくひかり輝く雑念妄想のない晴れ晴れとして、何事にもとらわれないしなやかな本当の魅力が出てくることこそ本当の美しさだよ」と言いました。

すると甚助石は「そんな魂になって何かいいことがあるのか? 目に見える形ある財産にでも化けるのか? そんな目に見えないものを求めても何の得にもならないし、ましてや一銭にもならない。儲からないものには興味はない。俺はこのままでいい。苦難の道に行って、わざわざ頭を使って悩み苦しんだ挙句に、一銭にもならないことには首を突っ込みたくない」と言いました。すると甚八石は「頭は使わないと錆(さ)びつくし、認知症にもなり、最後にはぼけてしまう。頭は使うように出来ているのだよ。ダイヤモンド魂になればなんてたって雑念、妄想等がなくなり石関係(人間だと人間関係)がうまくいくようになるよ。石関係でうまくいかないのはほとんど雑念、妄想だ。これによって物事のちょっとした些細なことを悪いほう、悪いほうに受け取ってしまい結局関係がうまくいかなくなってしまう。不思議と悪いほう、悪いほうに引っ張られるのだ。ちょうど今の甚助石ちゃんのようにね。逆にダイヤモンド魂になれば物事を良いほう、良いほうに受け取れるようになる。物事を良いほうに受け取るか、悪いほうに受け取るかによって魂の輝きが自然と違ってくる。良いほうに受け取れば魂は明るくなり、悪く受け取ると魂は暗くなる。魂とはそういうものだ。そういうのは表情に出るものだ。そうすると物事が好転していくか、いかないかの分かれ道はそこにあるということだ。もちろん好転していくのは明るいほうだ。それではなぜ不思議と悪いほう、悪いほうに引っ張られるかということだ。それは心全体の構造はマイナス煩悩の勢力プラス煩悩の勢力より強いからだよ。それでダイヤモンド魂になってそのマイナス煩悩をやっつければ悪いほう、悪いほうには引っ張られなくなる」と言いました。それを聞いた甚助石は「そんなことはどうでもいい。俺は楽をして生きていきたい。そんな目に見えないものを追っかけたって意味がない。ただそれだけだ」と言いました。それを聞いた甚八石は「そんなことはないよ、甚助石ちゃん。楽をしていくと主体的に問題を解決していく力が養われないぞ。これから先は考えられない様々な困難もきっと待ち受けている。そんな困難も解決できなくなって最悪心の病になり最後は自殺ということになるかもしれないということを神様も言っていただろう。私はこんなことにならないように苦労するかもしれないが、自分に問題解決力をつけたい」と言いました。それを聞いた甚助石は「甚八石ちゃんは何でそんな詳しくいろいろなことを知っているの?」と甚八石に質問しました。すると甚八石は「実は神様から受け取ったメモにいろいろそういうことが書いてあったのだよ。最後にダイヤモンド魂になれる方法も書いてあったよ。このダイヤモンド魂はどんな逆境でも乗り越えられるとも書いてあった」と言いました。それを聞いた甚助石は「そんなことが書いてあったのか。それにしても甚八石ちゃんはお石好し(人だとお人好し)だ」と言いました。そんなことを言い合っているうちに両石は眠気を模様してきたので寝てしまいました。そして朝になっても昨日からの問題は平行線のままでした。そしてそのまま夕方になりまた夜がやってきました。

 両石がそんな言い合いに疲れ切って休んでいると、そこに昨日来た神様が現れました。そしてすぐに「どうじゃ、相談して結論が出ましたか?」と両石に聞いてきました。すると甚八石は「はい、私は苦難の道を行きます。神様の言うことを聞きます」と返答しました。そして次に甚助石が「俺は苦難の道には行きません。そんなの馬鹿馬鹿しくて聞いておられません。一銭にもならなくて、逆に自分が苦労をするような道にはいきません。俺は楽をして生きていきたいのです」と神様に即答しました。この両石の返事を聞いた神様は「解った。それでは甚八石君はわしの言うことを聞いて苦難の道という修行道に案内することにする。甚助石君は楽をしていくということなのでこのままの道を行ってください」と言いました。そして少し間を置いて神様は甚助石に「甚助石君、あなたはまたとないチャンスを逃がしました。せっかく私が用意した「生きるための知恵」である「心の財産」を苦難の道を通じてあなたに与えたかったのにあなたはそれを拒否しました。本当に残念です」と言って神様は甚八石と一緒にその場から消えてしまいました。その神様の最後の言葉を聞いた甚助石は「しまった!!」と思いました。甚助石は、財産は財産でも目に見えない「心の財産」があるということに神様の最後の言葉を聞いて悟りました。しかし、すべてはあとの祭りになってしまったとさ。

おしまい

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※ 誰もが苦労はしたくありません。しかし、今何らかの理由でやむなく逆境に直面している方は、「きっと天があなたの魂を磨いてダイヤモンド魂にしてやりたいのでその舞台を用意してくれた」と考えてみませんか。そうすればどんな逆境もきっと乗り越えられます。「がんばれ」今、何かの逆境に直面しているすべての方々へ。

魂をリフォームしよう


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