※ 注意・・・人を縛って木にぶら下げたり、木に縛ったりしないで下さい。この物語に出てくるこれら行為はあくまでも「物語」のなかのお話です。真似はしないで下さい。引きこもりは、はっきりとした理由や原因がよく分からないものが多くあります。引きこもりは百人百様の理由があります。それにともなって百人百様の対応があります。
引きこもりの一つの対処法
悩み等で働かないで家に引きこもっている場合、ただ働け、働けと口やかましく言っていたのではただ本人を追い詰めるだけです。働かなければならないことは本人が一番よく分かっています。一番苦しんでいるのは本人だという認識がご家族の方や社会は必要です。本人は頭の中がこんがらがっているのです。そのために苦しんでいるのです。それを一つ一つからまっている思考を整理して分かっていけばいつか自らきっと働くようになります。ちょうど魚釣りの糸(=思考)がぐちゃぐちゃにからまって魚釣りが出来ない状態をイメージしてください。そういう場合、どうしますか。頭にきて『なんだ、この野郎!!』と言ってあせって直そうとすれば益々からまっていくではありませんか。落ち着いて一つ一つからまっている部分をゆっくりと直して元の状態に戻せば糸のからまりは直ります。糸が戻って(=すっきりする)魚釣りが再開されれば魚釣りを楽しむことが出来るではありませんか。そんな一つの考え方で対処していきませんか。
引きこもりに関する一つの見解
あなたの人生を「守る」「支える」「応援する」商品群紹介
|
ついに「人生好転法免許皆伝」が本になりました。
好転の極意のエッセンスを集約し、内容をよりかみくだいて分かりやすくまとめました。今のような悩み多き混迷深まる時代において、「希望と確信への羅針盤」としてお役に立ちます。一人一冊人生必携の書。お求めは「アマゾン」で。
← 本の写真をクリックでご購入できます。
アマゾンスマホからもOK→https:linkmix.co/7661147 |
|
ご案内 人間は料理の煮物と同じく隠し味でおいしくなる(生まれ変わる)
意識革命喚起 ™商品で引きこもり打破!!
(a)この世の中に出てみたら (b)人間の生活 (c)強さと優しさを得る具体的な考え方 (d)もし、あなたが「憎悪」をためこんでいるならば
ただの石をとんでもないモノにしてしまった「友蔵」
◎ この物語の作者が考える「引きこもりとは?」・・・結論日本国民の各々が抱えている不平不満、悩み等のストレスの爆発が、立場の弱い方(特に心根の優しい方)へ向けられて、その方が居場所を失って家へと追いやられること。
経済的な豊かさ追及と競争激化等(ただし経済発展、競争激化は悪ではない。世界との闘いの渦中に日本は今ある)や格差社会の拡大等で国民の不平不満、悩み等が増大 心が満たされないで抑圧された国民のストレスが爆発(ノルマ必達の重圧、仕事への締め付け等や国民の各々が抱える不平不満、悩み等による)。その爆発はパワハラ、いじめ、恫喝、叱責、誹謗中傷、嫌がらせ、暴言、暴力等となって現れる その爆発の矛先(ほこさき)は立場の弱い方(特に心根の優しい方)へ。その結果、心はズタズタになる 引きこもりへ(もしかしたら精神疾患を発症している場合もあります。又発達障害が露呈する場合もあります。)
※ 例えば、運輸業界が厳しくなれば、そのしわ寄せは中間管理職と末端の「運転手さん」にかかってきます。このようなことはすべての業界の労働者にいえることなのです。又、経済的に豊かになっているのに漠然とした不安をいだいて、心が満たされない状態の日本人は増え続けています。その結果、ストレスの爆発が起きるのです。
(
この世の中に出てみたら)
※何一つ良いこと、楽しいことがない。自分が思っていた世の中ではなかった。
こんな状態になると安心出来なくなり、世の中が嫌になる。
心は傷だらけでズタズタ!!(心が悲鳴をあげている)
家へ避難(引きこもる)
それでは引きこもりを解決するにはどうしたらいいのか?
自分を強く真に優しい人間に変えるしかない。世の中や他人を責めても解決しない。
※ 強く真に優しい人間とは何か? 人のストレスの爆発を笑い飛ばし、周りに安心感を醸成出来る人間になること。
※ すべての日本国民が「心豊かで強く優しく思いやりのある人間になれば問題は解決しますが、それは※至難の業です。まず「己」を変えることです。
働いているすべての国民の財布の中に常時50万円が入っていて、心は全てに感謝し、毎日明るく楽しく生きて、すべての人への思いやりのある状態を心に実現させれば引きこもりは起きないと考えます。しかし、それは不可能に近いのです。しかし、それが仮に実現できたとしても人間は50万円を100万円にしようとします。そうすると永遠に人間は満たされることはないということも言えるのです。
(注)※至難の業・・・世の中や他人を責めても決して問題は解決しません。どんな時代でも不平不満や抑圧されたストレスは存在していたのです。それが人間社会というものではないでしょうか。しかし、そうだからといって野放しにしておくわけにはいきません。困難な道ではありますが、弊社はメルシーちゃんの普及を通じて「心豊かで強く優しく思いやりのある人間」を増やしていく活動をしております。
◎ なぜ人間は強くなければならないのか? 人間はやられっぱなしになると負け癖がつきます。そして最後に「心に傷を負います」。負け癖は主体的な人生を切り拓けません。
◎ なぜ人間は真に優しくなければならないのか? 優しくないと人間にとって一番大切な安心を周りに醸成出来なくなるからです。いつも不安な人生は心の不安定を招き、平安を得ることが出来ません。
※ 真の優しさは「人間の生活」にとって「心の安定」という一番の土台を造ります。人間の生活の根本土台は「目には見えないモノ」なのです。
※「人間の生活」の土台は「目には見えない安心」が支えているのです。安心は人間の優しさから生まれます。「優しさ」は「目には見えないモノ」から醸成されます。ですから「目には見えないモノ」が書いてある宗教書、哲学書等は重要なのです。ここに「精神の価値」の重要性をご理解していただけたのではないかと思います。「精神」を食べても(=勉強しても)腹いっぱいにならない(=お金にならない)、とお考えの方も少しは分かっていただけたのではないかと思います。
強さと優しさを得る具体的な考え方
No1.人間の生き方 No2.人間は人間を攻撃する生き物です。だから避難場所等が必要であり、「心の傷のかさぶたが取れる」のを待ちましょう。「心の傷のかさぶたが取れる」とはどういうことか? No3. 人間は「考え方の種」を創造することによって生きる方向が決まる。 No4.引きこもりの方へ①この世の中は人間と人間の闘いだ ② 人生は一生闘いだ、だから精神の免疫力の「闘魂」を呼び覚ましましょう ③人間を否定するのではなく、肯定しよう ④苦しさの頂点に達したら、「そこが人生の最大の踏ん張りどころだ」と思ってとにかく踏ん張って耐えろ。苦しさの頂点は、成長の分岐点でもある ⑤人生最大の強敵は己だ ⑥最初から面(つら)の皮が厚い人間はいない ⑦あなたはあなたの考えでいい ⑧いくら立場が弱くても闘わなければならないときは闘え!! ⑨どうせ人間は死ぬ、ならば・・・・ ⑩なぜ生きるのか? ⑪具体的な簡単な自己改善法 ⑫「どんな仕事でもいいからやってみよう!!」という前向きな気概があなたの「殻」を破り、新しい発見をもたらし、人生に窮しない
⑬ 挫折や失敗はお宝だ!! これを経験しなければ成長はない ⑭このホームページの情報・観念は自分の頭でよく考えて(=自分の歯でよく噛んで咀嚼して)自分のモノにしなければあなたの血肉にならない・・・・(「言い聞かせる言葉」、「思考の確認」、「最後にあなたに贈る言葉」有ります)
⑮参考・・・【引きこもりの一つのとらえ方】 ⑯総括
No1. 人間の生き方
「生き方」それは、はっきり言って「自由」です。「こんな生き方をしなければならない」「人間は働かなければならない」「学校へ行かなければならない」等々と「何々しなければならない」という呪縛に支配されているのが現代です。しかし、真実は「自由」です。日本国憲法第27条第一項においては勤労の義務を負うとなっていますが、これは一つの方針にすぎず、強制ではありません。無理やり働かなくてもいいのです。すべての日本国民はどんな生き方をしようとそれは個人の選択で決まります。選択肢の中には「働かない」というのも当然あります。日本国憲法では個人の考えが尊重されているわけですから当然「働かない」を選択することが出来ます。無理に働いてもいいことはありません。ですから「引きこもり」で働かなくなったといっても驚くことではありません。その人が何らかの理由でそれを選択しただけなのです。まずはそこを押さえておかなければなりません。
周りが「引きこもり」で騒ぎすぎると引きこもった本人はそれだけで罪悪感というプレッシャーがかかります。世の中も「引きこもり」が何か悪いことのように思わせている風潮にも問題があります。ただ引きこもった本人が選択肢の中の一つを選択しただけなのです。選択したというより、そこへ追い詰められたということです。社会全体の総ストレスの犠牲者なのです。もし、あなたが重労働して疲れればどうしますか。きっと多くの選択肢の中から「休む」を選択する可能性は大きいと思います。引きこもりも人生の中で「何らかのこと」があり「疲れた」のです。「引きこもる」とはすなわち社会活動を「休む」ということです。もしかしたら「何らかのこと」で心の病(何らかの精神疾患)を発症したかもしれません。又発達障害が露呈したかもしれません。そうなった場合、家族はまずは評判の良い「メンタルクリニック」なり「精神科」のドクターと相談しなければならないのです。確認しておきたいことは「引きこもりは悪いことではない」ということです。疲れたので「休む」という選択をしたということです。ここを分かってあげる必要があります。人によって疲れる度合いはみんな違います。例えば陸上競技で1,500mを全力疾走して「へとへと」に疲れる人もいれば、余裕のある人もいるのです。ちょっとした言葉一つで人によっては深く傷つく人もいれば、平気な人もいるのと同じなのです。人間はみんな違うということです。
No2. 人間は人間を攻撃する生き物です。だから避難場所等が必要であり、「心の傷のかさぶたが取れる」のを待ちましょう。「心の傷のかさぶたが取れる」とはどういうことか?
[現代は良いことより、嫌なことの方が多い世の中→超ストレス社会]
この世の人間界は実に様々な人間が必死になって生きています。そのため人間界は良い感情ばかりが支配する世界ではありません。何も悪いことをしていないのに急に怒鳴られたりします。また、簡単に傷つくような言葉をあびせられたりします。コンビニでアルバイトしていたらいきなりお客様に怒鳴られることもあります。複雑な人間関係に嫌気を起こすこともあります。人間関係が面倒くさくなったりします。客商売をしていてクレーマーにつかまり、徹底的に糾弾されたりします。自分は何の責任もないのに叱責されたりします。いじめにあう場合もあります。その他理不尽なことに遭遇して八つ当たり等される場合もあります。まだまだ、数え上げればきりがありません。実に嫌な世の中なのです。そのためこの世の中はしんどくなります。このようなしんどい世の中の何もかもが嫌になって「この世の中と関わらないようにしよう」と心に決意して家に入り、社会と関わりを絶つのを「引きこもり」と言います。ちょうど母親の子宮から世の中に出てきたけれども、あまりにも世の中がしんどいのでまた安心、安楽な母親の子宮に帰るようなものです。いったん切ったへその緒は、再度接続して生きる栄養素(食事等)を供給してもらいます。このようにまだ帰れるところがあり、面倒を見てもらえる人は幸せなのです。「引きこもった人」はまずはこの気持ちを持って親に感謝しましょう。引きこもりの原因は一つでありません。いろいろなストレスの多種多様な爆発によって引き起こされます。「引きこもり」は日本だけの問題ではありません。
[人間は人間を攻撃する]
昔、太平洋戦争中にアメリカのB29爆撃機で日本中のほとんどの都市が空襲攻撃を受けました。攻撃を受けたとき、人々はどこへ逃げたのでしょうか。それは「防空壕(ごう)」です。そういう避難場所があったのです。また、戦争で地上戦の場合、相手の攻撃から身を守るために「壕」を掘ります。ここも一つの避難場所です。人間は戦いの時、その攻撃から身を守るために「避難場所」をあらかじめ造っておくのです。それは負傷しないためであり、最終的に「命」を守るためです。
目を私たちの日常の生活の中に向けてみましょう。人間界では人間は人間を攻撃します。「いじめ」「パワハラ」「恫喝」「虐待」「誹謗中傷」「嫌がらせ」「怒り」「叱責」「暴力」「暴言」等々の爆発はすべて攻撃です。この世の中には攻撃的な人間は多いのです。特にその攻撃は立場の弱い方(特に心根の優しい方)に向けられます。攻撃型の人は決して強い人間を攻撃することはありません。立場の弱い方はたまったものではありません。普通はこのような攻撃を受けた場合、「憂(う)さ晴らし」として「酒を飲みに行く」「パチンコやその他の遊興」「趣味等」で嫌なことを忘れて心をリセットします。中には違法な薬物に逃避する人もいます。このような避難場所を確保してそこへ避難すればなんとか大きく傷つくことはそんなにありません。しかし、中にはその攻撃をまとめに受けてリセットできない場合があります。そうすると私たちの心は繊細でガラス細工のようにもろいために、少しのショックでもヒビが入るのです。要するに傷ついてしまうということです。人間は精神的に傷つきやすい生き物なのです。すべての人間がそのことを理解して人を思いやる優しい人ばかりで、この世の中が楽しいことばかりのパラダイスであれば傷つくことはありません。しかし、人間界はそうなっていません。人間は人間を攻撃してその人間を傷つけます。傷だけでなく最悪自殺に追い込む場合もあます。又、殺人に発展する場合もあるのです。中には傷を負わせていることに気が付かない人間もいます。なぜ人間は攻撃するのか。それはストレスの爆発によってもたらされます。そしてそのことによって少しでも自分が優位に立ちたいからです。より優位に立って支配したいからです。そして人間関係も複雑でなかなか良い関係を簡単には構築出来ません。まずはそのことを知っておく必要があります。人間界は複雑怪奇といっても過言ではありません。だまし合いあり。駆け引き有り。ポーカーフェイス有り。脅しや、ハッタリ等々何でも有りです。一筋縄ではいかないのが人間界です。そんな人間界の中であなたの職場に人間を攻撃する攻撃型の人間はいませんか。「攻撃」を受けたとき「何だ、この野郎!!」と言って、受けて立って反論等や、喧嘩したりして反撃すれば人間は傷つきません。要するに攻撃されたとき、我慢するのではなく、自分を出し切って自分の考えを最後まできっちり主張すれば傷つかないということです。我慢すると人間は傷つく可能性があります。しかし、なかなか立場の弱い方は自分を出し切る行動はとれません。そのために攻撃を受けたストレスをまともに抱え込むことになります。これで心は「ズタズタ」になります。
【経済の成長等によって生まれた抑圧されたストレスや各々が抱えている不平不満や悩み等の抑圧されたストレスの社会全体の総ストレスの爆発からどうやって身を守るか】
[引きこもりは一つの避難であり、自己防衛だ]
攻撃されたとき反撃できなかった場合、人によっては「引きこもり」が起きる可能性は大きいのです。社会と関わりを絶ちたいという気持ちになるのです。「引きこもり」は一つの心の避難です。そうすると戦争の時に避難した「防空壕」へ避難するようなものなのです。人間の何らかの攻撃によって傷ついた場合、心を癒す場所が必要なのです。要するに「避難場所」が必要ということです。引きこもりは「もうこれ以上傷つきたくない」という心の悲鳴であり、それは自己防衛本能が働いた結果です。
[親や家族が攻撃型になってはいけない。逆に親や家族はこの世で一番の理解者にならなければならない]
どうしても親はいつまでも引きこもっていると「早く働きなさい!!」「こんな怠け者に育てたのではない!!」「いい年をして何をやっているんだ!!」「甘ったれるな!!」等々のことを言います。しかし、傷ついているのは引きこもっている本人です。一番苦しいのは引きこもっている本人なのです。単なる精神論では解決しないのです。引きこもっている本人の内面の分析が必要です。場合によっては精神科等のドクターと親は相談する必要があります。親は引きこもっている本人の苦しい心をこの世で一番に理解してやる必要があります。どうしても人間は自分の「物差し(価値観)」で相手を測ろうとします。しかし、人間の心は繊細で傷つきやすいガラス細工みたいなものだ、という思いに至らなければなりません。少しの乱暴な言葉等で傷ついてしまうのです。その思いを胸に秘めて対応する必要があります。親や家族でいろいろと愚痴等を引きこもりの方に言うということは引きこもりの方を攻撃していることにほかなりません。家族からそんな攻撃をされたのでは益々心の傷は深くなります。世の中の他人に攻撃され、家族にも攻撃されたのでは自分の居場所がなくなります。居場所がなくなるということは追い詰められるということです。
[心の傷は目には見えないために偏見や誤解を生む。心の傷のかさぶたが自然と取れるのを待たなければならない。焦ると摩擦や衝突が起きる]
人間の外的な傷は「かさぶた」が自然とはがれてその傷は治ります。内的な心の傷も何かの言葉や物語等を読んだり、修行場で「我に返ったり」「新境地に到達」したりして、自然と何が大切かに気付くときが来るのです。その時が「心の傷のかさぶた」が取れる時なのです。心の傷のかさぶたが取れる時とは、一つの悟り、すなわち「気付き」を得た時に取れます。
「引きこもり息子の甚五郎」の物語は何が大切なのかを要約した物語です。少し乱暴な筋書きにはなっていますが、一人一人の会話に注目していただきたいのです。もし引きこもっている方のご家庭があれば本人にぜひ一読させていただけないでしょうか。決して「こうしなさい」とか「あーしなさい」と命令してはいけません。あくまでも本人の気付きなのです。本人の「心の傷のかさぶた」が取れるのを待たなければなりません。人間の心の傷は目には見えません。骨折や何らかの大きなケガは痛々しさが一目瞭然で分かります。しかし、心の傷はまったく痛々しさを外部にアピールすることが出来ないのです。そのために周りの人々は「普通」に見えてしまうのです。そのため偏見や誤解が生じます。そして最悪不幸な事件も起きているのです。
このホームページの中に「心の傷のかさぶた」が取れる言葉や物語も多く掲載してあります。ぜひ参考にしていただければ幸いです。引きこもっているお子さんを信じてあげてください。その信じてあげるという気持ちは必ず通じるときが来ます。人間は「不信感」は「不信感」を生み、「信頼」は「信頼」を生むのです。
※ 親御さんのご心配は分かります。しかし、物事は「なるようにしかならない」という開き直りも大切です。そう思うことによって一つの救いがあります。そして「かわいそうだ」「かわいそうだ」という情は本人のためになりません。親の本当の愛情は少し距離を置いた客観的な考え方です。その代表は「本人が真に自立すること」を考えてあげることと「子供を信頼すること」です。そして親がその引きこもりの問題に振り回されるのではなく、しっかりとした生き方をすることです。子は親を観ているのです。又、各自治体には相談窓口があります。問題を親御さんだけで抱え込むのではなく、同じ問題を抱えている方々との連携も大切です。問題を共有していくことは力になります。「引きこもり」を恥ずかしい問題として位置付けないで、世の中にオープンにして対応することは、ストレスの蓄積を防止し衝突をも防ぎます。要は精神衛生上良いことなのです。この世の中、どんなご家庭でも一つや二つは何らかの問題があるものです。
[引きこもりの方は優れた人間性を持っている]
引きこもりの方はどちらかというと繊細でナイーブで感受性が特に強い傾向があります。この性格は人間的に非常に優れたものに入ります。どちらかというと芸術家タイプに多いのです。非常に優れた人間性を潜在的に持っているということです。これを生かさない手はありません。「引きこもりの方」はその能力を生かせばすばらしい人間になる可能性は大きいのです。本人はそのことに気付いていないかもしれませんが、筆者はそのように考えます。潜在能力を生かすも殺すも周りの人々のかかわり方一つなのです。
【引きこもりの方が本来持っている、蓮(はす)の花のようなきれいで美しい心の花は単独では咲かすことが出来ない。泥の中という世の中に根を下ろしてしっかりとはってこそ、その美しい心の花は咲いて光り輝く】
清流に住む魚ほど(鮎等)少しでも汚れた水の中では強く生きられません。しかし、魚の中には汚い泥の中でも力強く生きられる魚もいます。淡水魚の「フナ」「ナマズ」「雷魚」「ドジョウ」等は泥があって、濁っている水の中でも力強く生きられるのです。「引きこもりの方」は心が清くきれいで美しい心の持主と筆者は思っています。魚で言うと清流に生きる鮎ではないかと思うのです。心は純粋できれいなのです。この世の中は、はっきり言って清流ではありません。お釈迦様は「この世の中は多くのドロドロとした欲望の渦が巻いている汚くて恐ろしいところだ。まるでそれは泥の中のようだ」と言っています。そのために純粋で心がきれいな方がこの泥の中のような汚くて恐ろしい世の中で何らかの障害に遭って、何もかもが分からなくなり、すべてが混乱して思考がこんがらがってしまい人間不信に陥ってしまったと筆者は推測します。これはちょうど魚釣りの糸がからまってしまったという状態と似ていると思うのです。魚釣りをした人はお分かりかと思いますが、糸がからまるとそれを直すには時間がかかります。焦ると益々複雑にからまっていくのです。からまった糸を直すには時間と冷静さと根気が必要になります。ですから今「引きこもっている方」は魚釣りのからまった糸を直すような気持ちで対応しませんか。そしていろいろと現実の世の中のことも考えながら、冷静さと根気を失うことなくじっくりと自分と向き合いませんか。そして「清濁併せ呑(の)むことの出来る懐(ふところ)が深い強い人間になる」と最終的に決意しませんか。この決意があってこそ泥の中でも生きられるようになります。要は鮎から泥の中でも生きられる雷魚に生まれ変わってもらいたいのです。生まれ変わればきっと一つの悟り(気づき)を得ると確信しております。そうすればこんがらがった糸は必ずまっすぐになります。
※ なぜ雷魚なのか?・・・筆者が子供の頃、いとこと川で一緒に網で魚とりをしていた時、一匹の雷魚をある狭いところに追い込みました。そしていとこが手を入れて捕まえようとしたとき、いとこの親指を雷魚が噛(か)みついたのです。要するに攻撃してきたということです。その時、雷魚は強い魚と思いました。血が少々出ましたがうまく網に入り捕まえることが出来ました。フナやドジョウを捕まえるとき、手を入れて追い込むと、ただ逃げるだけです。攻撃はしません。そんな経験があるので人間も何かで問い詰められ等したとき、反論や、噛みつくぐらいの気概がないとこの世の中を強く生きられないと思ったのです。だから雷魚なのです。そんな気概を持って生きてほしいという願いがあるからです。
お釈迦様は心のありようを「泥の中に咲く蓮(はす)の花のように美しく」と説いています。蓮の花は泥と密接につながってこそ咲くのです。単独では咲くことが出来ません。「泥の中」すなわちこの世の中と密接につながってこそ蓮の花のような美しい心の花は光り輝くのです。引きこもりの方の美しい心を生かすには泥の中のような世の中にしっかりと根をはってこそ、その美しい心は生かされて光り輝くものとなるのです。ここにこの世の中と深く関わってこそ引きこもりの方のストロングポイント(長所)」が生かされるのです。泥の中に生きて多くの方々と関わってこそ美しい心の花は真に光り輝くのです。
(きれいな心、美しい心)
※「師」は人間だけではないのです。世の中を成立させている自然も師なのです。ですから朝起きたら「空気さん」「雲さん」「木さん」「太陽さん」「月さん」「宇宙さん」今日一日よろしくお願いします、と声を出して挨拶しましょう。そして寝るときに「空気さん、雲さん、木さん、太陽さん、月さん、宇宙さん、今日一日ありがとうございました」と感謝してから寝ましょう。このような訓練をすると心に変化が現れてくる可能性があります。まずは自然を敬う。ここから人生をスタートさせましょう。この訓練は一人で出来ます。この機会に人生を「礼に始まり礼に終わる」という考え方をモットーとして生きて行きませんか。
No3. 人間は「考え方の種」を創造することによって生きる方向が決まる。
何らかの病気以外で引きこもった場合は本人の意志に逆らって慌てて第三者が運営する支援施設等に入所させてはいけません。本人の意志が最重要です。本人が第三者の力を借りて「更生したい」という意志があれば何の問題もありません。要は本人が納得して「更生したい」という意志を持ったのかどうかが大切になります。ただし、その場合は信用ある支援施設等に限ります。事前に良く調査する必要があります。
人間にとって、最も大切なのは「考え方の種」です。「考え方の種」が人生の方向を決めます。このホームページでは「人間はどんな人も必ず死ぬ。それならばポジティブに生きたほうが充実した人生を送れる」という考え方の種に立脚して制作されています。この考え方の種がなければこのホームページは存在していません。しかし、こんな「ポジティブな考え方で生きろ」と主張したところで、ある人は「私は毎日パチンコしていた方が充実して楽しい」となればその人はそれでいいのです。中には「私は毎日酒を飲んでいた方が幸せだ」となればそれはそれでいいのです。みんな人間は「考え方の種」が違うのです。極端な話「私は引きこもっていた方が幸せだ」となればそれはそれでいいということです。何人(なんびと)もそれを否定できませんし、非難することはできません。こんなうまいステーキを何で食べないのだ、とステーキの嫌いな人に言ったところでどうにもなりません。しかし、引きこもりは「あなたはそれで本当にいいのですか?」という問いを突き付けることは出来ます。
人間は「心」という大地の土の中に「考え方の種」をまいてそれを芽生えさせて成長させなければちゃんとしたものになりません。ちょうど野菜を作るのと同じです。どんな種類の野菜を作るかによって種は違います。ナス、キュウリ、トマト、カボチャ等々と野菜の種類は多くあります。人間も「考え方の種」によってどんな人間になるか(どんな野菜になるか)の結果が違ってくるのです。どの種(考え方の種)を創造するかによってどんな人間になるかという方向が決まるということです。何の考え方の種もない状態では何をしても無駄です。心という大地に種をまけないのです。すなわち方向が決まらないということです。飛行機でもエンジン、胴体、主翼、操縦設備等々がそろっていてもたった一つの垂直尾翼の方向蛇がなければ飛ばせない(人間で言えば活動できない)のと同じなのです。ですから本人がいろいろなもの(本、このHP等)を参考にしてどんな考え方の種が心の中に誕生するのか待たなければなりません。No4以下は「考え方の種」を創造するのに参考にしてください。ちなみに、「考え方の種」が出来ると「言い訳」をしなくなります。「親がこんなことを言ったから」とか「先生や友達がこんなことを言ったから」私は引きこもったとかの御託を並べない人間になります。人生が主体性を持ったものになってくると外部のことなど気にしなくなります。要するに自分以外の外部等のせいで「私は引きこもっている」というたぐいの理屈を言わなくなります。そんな御託を並べる時間が無くなって来るのです。キイワードは人生丸の船長であるあなたの「主体性」です。
No4. 引きこもりの方へ
① この世の中は人間と人間の闘いだ
この世の中は人間と人間の闘いなのです。武器は使用しませんが、この世の中は「人間の精神対精神、魂対魂の戦場」と言っても過言ではありません。あなたの周りを見てください。きっといろいろな個性豊かな人間が大勢いると思います。一般的にあなたにとって「苦手(にがて)な人」があなたの天敵になる可能性があります。この世の中には短気な人、すぐに怒る人、おっかない人、優しい人、すぐに頭にくる人、すぐに大きな声を出す人、喧嘩早(ぱや)い人、おっちょこちょいの人、冷静な人、欠点ばかり指摘する人、あなたを否定する人等々、切りがないくらい多種多様です。人間は個性対個性で闘っているのです。ある人が放つ個性がともするとあなたを傷つけているかもしれません。人間は意図しないのに第三者の心を傷つけている場合もあるのです。
② 人生は一生闘いだ、だから精神の免疫力の「闘魂」を呼び覚ましましょう
この世の中はいろいろな人がいます。それがこの世の中では当たり前なのです。映画でもテレビでも「正義の味方」だらけでは何も面白くありません。悪役あり。善人面(ぜんにんづら)して陰にまわれば極悪人等々いろいろな役者がいて面白いのです。この世の中はいろいろな役者がそろっているのです。人生もこのように考えると生きることが楽になります。人生が面白くなります。
この世の中は思いやりがあり心温かく、優しい人ばかりではないのです。人間が生きて行くためにはそんないろいろな人に耐えられる免疫力を付ける必要があります。人間の体と同じなのです。人間の体の中も免疫力という防衛軍がいて、体の中に入った悪玉菌をやっつけてくれます。人間も悪玉人間と善玉人間に分かれます。人の心をズタズタにするのは「悪玉人間」です。この悪玉人間と闘っていくには何が必要か、ということです。それは精神の免疫力の一つである「闘魂」という根性です。人をいじめる人間は悪玉人間です。
人間が闘うためには「闘魂」が必要です。そんな「闘魂」を呼び覚まして生きて行きましょう。「闘魂」はあなたの防衛軍です。すなわち「闘魂」はあなたの精神の免疫力です。「闘魂」がないとやられっぱなしになります。体の中の免疫力がないと悪玉菌にやられっぱなしになって病気になると同じということです。「精神対精神、魂対魂の戦場」において「闘魂」を呼び覚ますには己の内面を磨いて鍛えなければなりません。己の内面を磨いて鍛えれば自信もついてきます。
人生はいろんな人と闘っていかなければなりません。「この人は、私は嫌いだからこの人から逃げたい」ということは通用しません。そんな人間に対処する方法を自分なりに取得しなければなりません。あなたにきつく当たる人は、実は大きなストレスを抱えていて、そのストレス発散のためにあなたにきつく当たっているかもしれないのです。そんな風に考えると逆にその人がかわいそうになってくる場合もあるのです。人生とはいろいろな人が闘って織りなす一つの物語です。こんな風に考えてみませんか。そうすると少し楽に生きられます。
※短気な人はすぐに怒ったり、大声を出したり等します。しかし、意外と短気な人は何事も真剣に取り組む傾向があります。ですから、このような人に出会ったら「この人は真剣に取り組む人だ」と思ってください。そうすれば心にダメージを受けません。
※ 内面を磨いて鍛える一つの方法は武道(剣道、柔道等)教室への入門をお勧めします。武道は「自分と徹底的に向き合い、闘魂を呼び覚ましてくれるすばらしいスポーツです。(筆者経験あり。筆者は剣道三段です)。小さいお子様を礼儀等が身に着く人間教育が出来る剣道教室に入門することをお勧めします。そうすれば大人になってやられっぱなしになることはありません。
③ 人間を否定するのではなく、肯定しよう
「この世の中にはいろいろな人がいる」という考えは人間を肯定する考え方です。この考え方は多種多様な個性を肯定することにほかなりません。すなわち多様性を尊重することにつながります。そしてそのことはあなたの心を寛容へと導いてくれます。あなたにきつく等当たる人間を否定してしまうと人間関係を構築出来ません。人間関係を構築出来ないということは世の中との関わりを拒否することにつながります。そうすると多くの恵みを受け取ることが出来なくなり、孤立してしまうのです。きっとそんな寂しい人生を送りたくはないと思います。人生の出発点は、まずはどんな嫌な性格の人間でも「その人を肯定する」ことから始めましょう。そうするとそのきつく当たる人等の嫌な性格の人間の「ストロングポイント(長所)」を発見出来ます。
人間の善性を肯定し心豊かで明るく強く優しい人間になる方法(心の太陽を獲得する一つの方法)まずは人間を好きになる方向へ舵を切りましょう
人間の中には本気になって取り組んでいる問題によっては大きな声で怒鳴ったり、怒ったり、叱ったりする場合があります。怒鳴られた等した方は、これを悪く取ってしまうと深く傷つきます。人間は本気になって"真剣になればなるほど何かあったとき、腹の底から大声を出して怒鳴る生き物だ、と理解しましょう。あなたも本気になって本当に真剣に何かに取り組めば鬼になります。人間は鬼になって本物ですが、現代は周囲に気配り等の配慮をしなければならない時代なのです ここで大事なことは「いろいろな人間がいる、すなわち人間を否定するのではなく、人間(その中の鬼も含む)を肯定することが自分の心を防衛する一つの手段でもある」ということです。このことを分かっていないと心はズタズタになります。
④ 苦しさの頂点に達したら、「そこが人生の最大の踏ん張りどころだ」と思ってとにかく踏ん張って耐えろ。苦しさの頂点は、成長の分岐点でもある
人生には乗り越えなければならない(又は突き破らなければならない)苦しい局面が必ずあります。「引きこもり」に遭遇してしまった方は今がその時です。そんな苦しい人生から逃げる、すなわち自殺は絶対にしないでください。人間は苦しさがあるから成長する生き物なのです。逃げたら成長する恩恵を受けることが出来ません。苦しさの中でも必ずその頂点というものがあります。「もう私はダメだ」というところがその頂点です。もし、その頂点に達したら「ここが人生最大の踏ん張りどころだ」と考えて踏ん張って耐え忍び、どんな方法でもいいから命をつなぐのです。例えばあなたが何らかの精神疾患を患っていたらドクターに相談して処方薬をもらってでも命をつなぎ留めましょう。考え方の限界に来て絶望に直面していたら信仰の門を叩いてでも命をつなぎ留めましょう。苦しさの頂点は、実はあなたが大きく成長出来る分岐点でもあるのです。だからその分岐点から逃避してはいけません。「苦しさの頂点は人生最大の踏ん張りどころであり、あなたの新世界を切り拓く分岐点だ」ということを頭に叩き込んでおきましょう。
※ 人間誰しも「弱い自分」と「強い自分」の両方を持っています。精根尽き果ててしまった場合、「弱い自分」が主役となります。その時にもう一方の「強い自分」を呼び覚ます方法は「なにくそ、こんなことに負けてたまるか」と自分に何回も声を出して言い聞かせることです。この声出し方法は効果があります。自殺してからでは間に合いません。自殺する前に「なにくそ、負けてたまるか」と最後に踏ん張って声を出しましょう。自分に勝つか負けるかは人生を決定します。以外と「弱い自分」の正体は「己の甘えの体質」からきている場合もあるのです。その甘えから脱出できるかは自分に勝つことによって克服出来ます。
⑤ 人生最大の強敵は己だ
あなたの敵はいったい誰ですか。同僚ですか。友達ですか。それともライバルですか。商売敵(しょうばいがたき)ですか。実は最大の強敵は己、すなわち自分です。この者は実に利口です。都合のいい「言い訳」をすぐに思いつく優れものです。また、実に嘘をつくことに巧妙です。楽な方向へと導くのに優れています。こんな優れ者があなたの強敵なのです。そんな己に勝つか負けるかは人生を決定します。自殺をほのめかすのも強敵の己です。人生はそんな者に勝利しなければなりません。「どうせこんな勉強したって最後は死ぬのだから何の意味もない。パチンコや競馬等のギャンブルをしたほうが楽しい」等とあなたにささやいて楽な道へと誘惑するかもしれません。そんな最大の誘惑者に勝利しなければならないのです。ですから「人生最大の強敵は己だ。この者に勝利しなければ人生を切り拓くことは出来ない」ということを頭に叩き込んでおきましょう。
⑥ 最初から面(つら)の皮が厚い人間はいない
人間は最初から強い人間はいません。最初はみんな弱いのです。しかし、生活していく中でいろいろな人間に攻撃されて傷つきながら強い人間に徐々になっていくのです。強い人間になっていく過程では様々な葛藤を繰り返して弱い己に勝利していくのです。それを繰り返していく中で面の皮が厚くなり強い人間に成長していきます。最初から強い人間はいません。例えば剣道でも最初から強い人間はいません。最初は足の運び、竹刀の持ち方等から入ります。最初はみんな初心者です。人生も最初は初心者なのです。そんな中で挫折、失敗、苦悩等々様々なマイナスの経験を乗り越えて強くなっていくのです。ですから「引きこもり」はその過程の途中です。そのことに気付いてください。世の中道場の修行中の一つの壁が「引きこもり」だと考えてください。あなたは人生の修行者なのです。ですからその壁を乗り越える又は破ることに挑戦しなければなりません。その壁を乗り越えればあなたは面の皮も厚くなり強くなれます。その壁を乗り越えるためのあなたの「考え方の種」を発見してください。発見したらその種を心にまいて芽を出しましょう。人生はあなたの考え方次第ということなのです。あなたがすべてを握っているのです。人生丸のキャプテンはあなたです。
⑦ あなたはあなたの考えでいい
「こんな考え方をしたのでは人に笑われるかも」等と考えたことは過去にありませんか。きっと一つや二つくらいはあるのではないでしょうか。しかし、そんなことを心配する必要はありません。あなたはあなたの考えでいいのです。こんな考えでは人にバカにされるのではないか、とか思わないでください。自分の信念に従った考え方は貴重です。それがあなたなのです。人間は「自分の考え」でしか生きていけません。「考え方」があなたの支配者です。いろいろな本等は参考になるのであって、その参考にしたものの中から、あなたの中であなたの考え方に生まれ変わる、すなわち血や肉に変えたものだけがあなたの考え方になって真に身に着きます。そうした身に着いたあなたの考え方でいいのです。筆者はこのHPで「メルシーちゃん」というキャラクターをPRしています。最初は笑っていた人もいました。今もいるかもしれません。「いい年をして何だ、これは」と言った人もいました。「何だこれは宗教か」と言った人もいました。しかし、筆者は苦闘の末に最終的にこのキャラクターにたどり着いたのです。人類の希望の魂=ダイヤモンド魂=人類の心の太陽=メルシーちゃん=人類のアイデンティティに。笑われてもいいのです。筆者はこのHPで発表している通りの考え方にたどり着いたのですから。ですからあなたもあなたの考えでいいのです。「考え方」の中でも血や肉になるのも大切ですが、一番大切なものは「骨」となるものがあるかどうかです。よく「あの人は骨のある人間だ」などと言います。この時の骨は「しっかりとしたゆるぎない信念ある考え方」ということになります。何人からも攻撃されてもびくともしない考え方を持っている人ということです。これがないと骨なしの軟体生物になってしまいます。この骨のある考え方が身につけばしめたものです。
※あの人はいい人だけど、なんか足りないな、と思ったことはありませんか。そういう場合、たいがい足りないものは何かというとそれは「骨」です。いいこと(血と肉)を言うけれどなんか物足りない時は、骨がないときの場合がほとんどです。骨のある話は説得力を持ちます。たいがい説得力のない話はそこに骨がないからです。この機会に「骨」のことを自分なりに考えてみませんか。
⑧ いくら立場が弱くても闘わなければならないときは闘え!!
生活していると様々な局面に遭遇します。例えばあなたが仕事のことで何らかのあなたの不利になるようなことをでっち上げられて、あなたを今のポジションから排除しようという動きがあった場合、あなたはどうしますか。そこで闘うのはしんどいのですぐに従いますか。それともそんなことを画策している者に正々堂々と立ち向かっていきますか。要はこんな汚いことまでする者と徹底的に闘いますか、ということです。いくら自分の立場が弱くても人間は闘うときは闘わなければならないのです。人と争うことはどうも苦手だ、人と波風立てない方が良い、と言っていられない局面もあるのです。そんな局面から逃げていると逃避癖がついてしまいます。負け癖がつくのです。結果的に情けない人間になり下がってしまいます。「闘わなければならないときは毅然として闘う」という強い意志が必要です。そうすればやられっぱなしということにはなりません。
⑨ どうせ人間は死ぬ、ならば・・・・
この世は「ゴロゴロ」していても確実に時間は過ぎていきます。1秒、2秒、3秒・・・・と。スマホでゲームをしていても同じです。昼寝をしていても。何をしていても確実に時間は過ぎていきます。そして最後はどうなるか。それは「死んでしまいます」。そのことはすでに確実に100%決定していることです。あなたは生きている縄文人に会ったことはありますか? あなたは生きている平家の平清盛さんに会ったことはありますか? ないでしょう。みんな死んでいないのです。当たり前です。しかし、今、あなたは何をしていても生きています。これは事実です。それではあなたの命は何によって維持されているのでしょうか。大きく言えばそれはあなたの命を誕生させた「宇宙」によって維持されているのです。「自然」と言ってもかまいません。このあなたを誕生させた親の宇宙は今、どうなっていますか。昼寝をしているのでしょうか。スマホでゲームをしているのでしょうか。どっかに引きこもっているのでしょうか。そうではありません。
宇宙はすなわち、地球、太陽、天の川銀河のことです。ご存じのように、これらは凄まじい速さで動き回っています。地球は太陽の周りを秒速約 30km で回っています。時速に直すと約 108,000km です。そのお陰で四季があります。そして赤道上での地球自転速度は時速約 1,666km です。秒速で約 500m です。太陽は天の川銀河の中心を秒速約 218km で公転しています。これは東京都からだいたい福島市の距離です。東京都から福島市まで 1 秒で行ってしまうスピードです。時速に直すと 784,800km です。天の川銀河(直径10万光年)も回転しています。一回転するのに約 2 億 5,000 万年かかります。太陽系での天の川銀河の回転速度は秒速約 240km です。また天の川銀河は時速約 2,160,000km の速度で宇宙空間を移動しています。秒速 600km です(約2兆年後には今の銀河等の星々は見えなくなると考えられています。要するに宇宙は暗闇になるということです。宇宙の膨張速度は速くなっているのです。最後には光速を超えると予想されています)。地球は天の川銀河の田舎の隅っこにあります。
※天の川銀河の大きさは直径10万光年です。その長さを130㎞に縮小して換算した場合、太陽系の直径は2mm(ミリ)です。これでだいたい天の川銀河の大きさが推測できると思います。自分の住んでいる地点から130㎞先を想像して太陽系にあたる2mmの円の紙切れを足元に置いてみてください。そうすると天の川銀河が頭の中で一望できます。
このようにあなたの命を維持している源の親である宇宙は一秒たりとも休む暇なく超高速で大忙しなのです。休む暇なしです。この超高速で動いているお陰であなたの命は維持されています。そろそろあなたもこのことを思って人生の生き方を考えてみませんか。どうせ死ぬのは決まっているのだから、ここで一念発起して「これだけは達成して死ぬこと(何か世の中のためになること)」を見つけて頑張ってみませんか。親の宇宙のような超高速でなくても、まずはゆっくりとそろそろ始動しませんか。まずは図書館へ行ってためになる本を読んでもいいのです。まずは0(ゼロ)から1(イチ)へ。そろそろ何かに本気になることを考えてみませんか。
メルシーちゃん壁掛け「人生好転®」販売中
「メルシーちゃん」を頭に焼き付ければあなたは変わります。
※ プロスキーヤ―で冒険家の三浦雄一郎氏は90歳になったらエベレスト登山に挑戦しようと準備しています(2019年現在86歳)。三浦氏は高齢になって2回エベレスト登頂に成功しています。人間にとって挑戦するのに年齢は関係ありません(なぜ人生に明確な目標が必要なのか)。今、引きこもっている高齢の方も何か自分の出来ることに一念発起してみませんか。
⑩ なぜ生きるのか?
なぜあなたは山に登るのですか? と山登りの男に誰かが質問しました。そうすると山登りの男は「そこに山があるからだ」と答えたそうです。格好のいい答えでも何でもない答えです。また意味深い答えでもありません。難しい哲学的な意味のある答えでもありません。感動するような答えでもありません。ただただ実直な答えです。要はそこに山が存在しているから登るだけだ、ということです。ただそれだけなのです。
それを「あなたはなぜ生きるのですか?」ということに当てはめてみましょう。そうするとあなたはどういう答えになりますか。筆者は「人間に生まれてきたから人間とし悔いなく生きるだけだ」となります。これを山に住んでいる熊に質問すれば「熊に生まれてきたから熊として悔いなく生きるだけだ」となります。空を飛んでいるトンビに質問すれば「トンビに生まれてきたからトンビとして悔いなく生きるだけだ」となります。アフリカに住んでいるライオンに質問すれば「ライオンに生まれてきたからライオンとして悔いなく生きるだけだ」となります。台所に住んでいるゴキブリに質問すれば「ゴキブリに生まれてきたからゴキブリとして悔いなく生きるだけだ」となるでしょう。
※「悔いなく」とは「一生懸命に」という意味です。熊さんもライオンさんもゴキブリさんも一生懸命生きています。人間も負けられないのです。
お釈迦様は人間として生まれてくる難しさを次のようなたとえで説法されました。「深い大海の中に小さな針を落として、それを後で探して見つけるようなものだ」と。ちょうどそれは現代で言うならば「高度一万メートルを飛んでいる飛行機から小さい針を地上に落としてそれを探すようなものだ」となります。このように人間として生まれてきたことは一つの「奇跡」です。当たり前ではないのです。あなたが今この地球という惑星で人間として生きていることは何を意味するのでしょうか。難しい答えではありません。その答えは「人間に生まれてきたから人間として悔いなく生きるだけだ」なのです。あなたは今「本当に人間として今これでいいのだろうか」と自問自答してみてください。そして最後に「人間として生まれてきたことに感謝します。両親に感謝します」とだけ声を出して10回叫んでください。
⑪ 具体的な簡単な自己改善法
1) 大きい額入りメルシーちゃんをお部屋に飾る(心の太陽を出現させる)。
2) 朝起きたとき「木さんありがとうございます。空気さんありがとうございます。地球さんありがとうございます。太陽さんありがとうございます。宇宙さんありがとうございます。今日一日【※・・・・】のために一生懸命頑張ります。必ずやとげます。」と声を出して言う。
3) 寝るとき「今日一日ありがとうございました」と言って寝る。
たったこれだけで良いのです。ただし文中の2)の【※・・・・】だけは自分で考えてください。どんな小さい目標でも良いのです。例えば「家族の食器を全部洗います」とか「1㎞歩きます」とか「居間を掃除します」とか「図書館から借りてきた本を3ページ読みます」でも良いのです。日替わり定食ならぬ、日替わり目標を設定してそれを実行します。ただし、目標の7割ないし8割達成すればそれでよしです。問題は毎日続けることです。これが重要です。
なぜ重要なのか? それは必ず頭の中に「今日は何々をやろう」と思いつきます。しかし、もう一人の自分が「面倒くさい、やめておこう。スマホでゲームをしていた方が楽だ」等とささやく公算が強いのです。なぜか? 心が疲れているときは実行力と決断力が弱くなるからです。そのためにそういうことになります。そのことを理解してもう一歩踏み出しましょう。「そうか、私は実行力と決断力を少しでもつけるためにこの日替わり目標を設定している。ここは踏ん張って実行してみよう」と思ってください。毎日そういうことを思って生活していけばだんだんと実行力と決断力がついてくる可能性は大きいのです。とにかく「心のリハビリ」と考えて対応してみてください。リハビリとは少しずつ前向きになって訓練することなのですから。毎日自分に勝つか負けるかの訓練をしていくうちに心は少しずつ鍛えられて「自分に勝つ方向」への道が開けます。人生の中では「弱い自分に勝つこと」すなわち「言い訳」を排除することが問題解決へのキイワードなのです。そのために毎日続けることが重要なのです。
◎ 今、引きこもりを選択して「引きこもっている方」が一番に認識しなければならないこととは?
ここから人間的、精神的に大きく成長していく本当の人生が始まるのだという認識を持つことです。引きこもりは終わりではありません。あなたが成長する始まりなのです。人間は、まずは本当の自分を知らなければどんな手を打ったらよいか分からないのです。
※「引きこもり」は一見マイナスのように見えますが、実はそうではありません。下記の複数のプラスの価値があります。
1) 今までとは違う新しい生き方に挑戦できるチャンスが与えられた。
※ 何の問題もなくスムーズに人生が進んでいる人よりも、新たなる「夢」を持つことの出来る人生を創造できる可能性があります。「普通の人生は面白くもなんともない」ということも言えるのです。面白い独自の人生を歩むことも可能になります。そうするためには下記の2)から4)までのことを実行して「己」を深く掘り下げる必要があります。そうすれば「本当の己」を発見出来ます。「本当の己」とは「自分のことを何も分かっていなかった」すなわち「無知な己」を理解するのです。そこから本当の人生は始まるのです。「私は無知だった」から始まる人生は、すべての経験や勉強等して得たモノがすべてあなたの血肉となります。
(※『無知』とは知識がないということではなく、自分を知らないこと、という意味です)
人間の偉大さと尊厳について(人間は考える葦である)
2) 自分の内面を徹底的に見つめ直す絶好のチャンスと時間が与えられた自分は何者だ、ということを考える時間も与えられた(意外と人間は自分が何者なのか分かりません)。
3) 「人間とは何か」と「人生とは何なんだ」等のことを考える時間が与えられた。
4) 読書する時間が与えられた。
まとめ
No1.GFIT法を実践するNo2.徹底的に自分を見つめ直すNo3.真実から目をそらすのではなく、真実を直視するNo4.ダメな自分と、自分の事を何も分かっていなかった自分(=無知な自分)を発見する(本当の自分の発見)No5.そんな自分を認めるNo6.新しい人生が始まる
※ 真実から目をそらすと自分をごまかす人間になります。そうすると人とのコミュニケーションがとれなくなる可能性があります。本当の自分を発見し、それを自分で認めれば救われます。また、「今の自分がこうなったのは、何々のせいだ」と言ってその責任を他の人や、他の理由にして生きることは、益々真実から遠ざかります。
「こうなったのはすべて自分に責任がある」と認めて奮起し、人生を努力することは一つの自分の壁を破ることになります(言い訳の人生はどんどん心の借金が増えて、魂が滅びる方向へと向かいます)。 ここも参考
◎魂の滅びとは?努力することは汗をかくことです。これはつらいことなのです。しかし、これを避けて生きて行くと、人生というエンジンが不完全燃焼を起こします。そうすると魂にその燃えカスのカーボンが貯まり最後にはエンジンが止まることです。
参考No1・・・苦悩のどん底の中で徹底的に己を見つめ直して「私はこの世の中で一番愚かで馬鹿な人間だ」と悟った有名なお坊さんが鎌倉時代の浄土真宗の開祖の「親鸞」です。名前を「愚禿(ぐとく)鸞又は愚禿親鸞」とそれ以後名乗りました。親鸞は徹底的に愚直に内省した結果「私は欲望の塊(かたまり)の己、すなわち煩悩に満ち満ちているどうすることも出来ない愚かな人間に過ぎない」と悟ったのです。もし、親鸞が自分をごまかして「私は仏教を勉強した偉い坊主だ」と威張った考え方になっていたら「教行信証」も「歎異抄(親鸞の弟子の唯円が親鸞の主張をまとめた書物)」も生まれていないし、浄土真宗も生まれていないということになります。すなわち阿弥陀如来様の慈悲による他力しかない人間の救いの道を切り拓けなかったということです。すべての恵みは唯一信心によって如来様からいただくという親鸞の他力本願の境地に行きつくまでの苦悩は想像を絶するものがあったに違いありません。だから人間は苦しいかもしれませんが、「本当の己」を発見する必要があるのです。すべてはそこから勉強してあなたが持っているものから新しい何かが生まれるのです。何かが生まれるということは本当の人生が始まるということです。ちまたには「成り行きに任せる」とか「何も考えないで自然に任せる」等々と出版されている本等もありますが、そういうことを主張している人は「天才肌の人」です。筆者も含めてですが「煩悩具足の凡夫・迷える子羊のグループ」は努力しなければ道は切り拓けません。だから努力することから逃げてはいけません。鎌倉時代の昔の親鸞から我々現代人が学ばなければならないのは、苦悩に対する姿勢と、自分に対して嘘をつかない姿勢です。悩みや迷いというのは誰もが持っています。そのために苦しみという人生の「壁」が出現するのです。親鸞はその「壁」に真正面から取り組みました。逃げなかったということです。その結果、新境地に到達したのです。その境地は「教行信証」という著書となっています。
参考No2・・・例えばあなたが上司から「こんどこんな資格(仕事に関係した資格)を取ったらどうだ。ちょっと勉強すれば楽に取れるよ」と何かの資格を取ることを勧められたとします。そしてあなたは資格を取ろうと少し勉強しました。そして受験しました。結果は不合格でした。そうなったときあなたは「上司に騙(だま)された。二度と受験しない。そんなことを言った上司が悪い。とんでもない上司だ」と考えるか、「自分の本当の実力が証明された。何も分かっていなかった自分が露呈された。すなわち本当の己の姿が浮き彫りになった。今後、性根を据えて一から勉強のやり直しだ。上司は本当の自分を気付かせてくれた恩人だ」と考えるか、さてあなたはどっちの考えをする人間ですか。
結論・・・あなたが大きく成長できる薬は「本当の己を知ること」なのです。このことから目をそらすのではなく、直視し奮起すれば大きく成長出来ます。そのためには己を徹底的に掘り下げる必要があります。人生は次々に「壁」が出現してくるのです。その壁を破るには「本当の己を知ること」。このことによって自分が何をしたらよいかの答えが出るのです。すなわちどういう手を打ったらよいかが分るということです。この世の中は問題(=壁=課題)が出てくればそれ対して「対策」を打って解決していきます。自分の問題も「対策」を打たなければ何も解決しません。しかし、「本当の己」を知らなければ、その対策の打ちようがないということになるのです。
※ 己を徹底的に掘り下げて行く(=見つめ直す)己の壁=課題(又は問題点)の発見その壁を破ることに挑(いど)むそのためには努力が必要(これが最大の壁となって立ちはだかる。それはなぜか、それは難儀なことから逃げたいから。すなわち難儀なことはしたくないのです。そのために巧妙な言い訳を考える天才になってしまう(酒、薬物、異性、宗教等に逃げたり、溺れたり、狂ったりする場合があります)このところをごまかすと現状から脱出できない何かに挑む心を失うということは生きる目標点を見失ってしまうということになるのですここで考えてください。人類と他の動物の違いを。それは「果敢に挑む力」を人類は持っていることです。そのことに開眼してくださいあなたは人間です。やれば出来るのですそのためには能力は必要ありません。ほんの少しの勇気があれば十分なのです
※必ず出てくるのが「能力無し論」です。これで自分を正当化するのも人間です。しかし、能力のある人間はそんなにいません。我々は「煩悩具足の凡夫・迷える子羊」です。そんな我々に能力は必要ありません。ほんの少しの勇気があればいいのです。ちょうどあなたの手前にある橋のない小川を走って飛び越えるような、ほんの少しの勇気があればいいということです。
⑫ 「どんな仕事でもいいからやってみよう!!」という前向きな気概があなたの「殻」を破り、新しい発見をもたらし、人生に窮しない
人間はきれいな仕事につきたいと普通は考えます。職安に行った人なら分ると思いますが、みんなきれいで楽な仕事をさがしています。そんな仕事はなかなかありません。職業選択の自由はもちろんありますが、困ったときは「何でもしてやろう」という心になったとき、あなたは、心の殻を破ったことになります。そうなれば仕事はたくさんあります。一般の人たちから敬遠されているような仕事でもやってみると意外と新しい発見があるものです。そしてそういう仕事は奥が深いのです。そして一生懸命にがんばっていると今まで自分の視野が狭かったことを悟ります。人間が「食べていくこと」の何たるかがきっと分ると思います。そして続けていくうちに新しいアイデアも浮かぶかもしれません。プラスの新しい出会いもあるかもしれません。「どんな仕事でもしてやろう!!」という前向きな気概があれば人生に窮することはなくなります。生活していく道が開けるのです。人生にはそういうたくましさが必要なのです。 まずは0(ゼロ)から1(イチ)へ
ただの石をとんでもないモノにしてしまった「友蔵」
⑬ 挫折や失敗はお宝だ!! これを経験しなければ成長はない!!
今、引きこもっているあなたは人生の貴重な経験をしている!!
人間はなぜ挫折や失敗をするのか? その答えは「人間の中に聖人君子はいないから」です。人間は失敗もするし挫折もするのです。間違うこともあるということです。ただ、大切なことはその失敗等や、間違ったことをどのようにプラスの考え方に転換して、その失敗や間違ったことを今後に生かしていくか、にあなたの人生は決まっていくのです。
人生には挫折、失敗というお宝がある
テレビ等では「お宝ブーム」です。あなたは古文書や美術品等だけが「お宝」と思っていませんか。「お宝」は他にもあるのです。それは「挫折、失敗」という「お宝」です。それを聞いて「えっー!!」と思ったのに違いありません。普通、挫折、失敗は挫折、失敗の何ものでもありません。ところがこのマイナスの中にこそ「お宝」の源となる「お宝元素」が隠れているのです。まず、人類の歴史を見てみましょう。今我々が多くの便利な機械、飛行機等やいろいろな病気に効く薬等々、その他多くの人類に貢献しているモノは、人類が様々な課題に挑戦してきた結果によって得られたものです。それらは最初から様々な原理や真理等が解って発明、発見されたわけではありません。多くの失敗や挫折の積み重ねによって原理、真理等に到達して多くの発明等につながっているのです。簡単に言うと先人の挫折と失敗がなかったら今の私たちの文明は存在していないということです。挫折、失敗のお陰で新しいことが解り、次の課題へと進むことができたのです。そして最終的に目標を達成してきたのです。だから「挫折、失敗」は神様と言っても過言ではありません。だから「お宝」なのです。
挫折、失敗=神様=お宝
人間は万全の準備をしたつもりで「様々なこと」を進めます。しかし、それでも挫折や失敗する場合があります。誰もが失敗等はしたくないのですが、失敗するのです。この世の中には失敗等しようと思って失敗等する人はいません。しかし、失敗等するのです。それはなぜか? それは私たちが人間だからです。不完全な人間だからです。私たちは聖人君子でもなければ神様ではないからです。それが答えです。
挑戦=挫折、失敗と言っても過言ではありません。挑戦には失敗等はつきものです。この失敗等のマイナスに対する考え方によって人間は運命が決まります。失敗等しなかったら絶対に「新しい価値の扉」は開きません。「新しい価値の扉」の鍵は「挫折、失敗」です。だから失敗等を恐れていたら前に進むことは出来ません。
先人の教訓=挫折や失敗をしても、それにめげずに何回もあきらめずに前進する=人間が鍛えられ人間的に成長出来る
1回失敗して死んだ男と、100回失敗して101回目に成功した男
だから、今「引きこもり」という挫折をしても悲観する必要はないのです。次の飛躍に必要な経験の一つです。日本は一つでも失敗や挫折すればそれで終わりという雰囲気を醸(かも)し出しています。しかし、それは真実ではありません。真実は失敗や挫折が人間を鍛え、成長させてくれるものだ、ということです。だから、大いに悩んで苦しんで徹底的に自分を見つめ直しましょう。そうすれば「本当の自分が分る」という恵みを受けます。「本当の自分が分る」このことはあなたが大きく飛躍するためのエンジンになります。
人間は苦しんだ分の量によって得られる恵みの量が違います。もちろん苦しんだ分の量が多ければ多いほど恵みの量は多くなります。だから挫折や失敗をしない人は、恵みはありません。人生の中で得られるものはないということです。挫折や失敗は実は人生の勲章なのです。アメリカでは何かに挑(いど)む、すなわち挑戦する人間は高く評価されています。その結果がたとえ挫折、失敗しても高く評価されるのです。そのマイナスから多くのことを学ぶ人間になるからです。日本は減点主義を取っているので自ら何かに挑む人間は少ないのです。みんな減点される(評価が下がる)のを怖がっているからです。結局何もしない方が利口だと思っているのです。今、求められるのは挫折、失敗を恐れない人間です。そんな人間になってください。挫折、失敗しても最悪命まで取られることはありません。命さえつながれば何とかなるのです。
あなたを成長させてくれるのは世の中の他人ではありません。あなた自身です。だから、引きこもっている状態でも何かに挑戦しましょう。何でもいいのです。挑戦し続けましょう。
ただし、何をやるにも人生の第一歩は人間の善性に目覚めることです・・・・善性に目覚めないと悪という誘惑に勝利できません。
挑戦するものの一例・・・本を読むこと、何かのボランティアに挑戦、散歩すること、走ること、何かの資格を取ること、正しい信仰への挑戦等々、要は何でもいいのです。但し絶対に犯罪等の悪に挑戦してはなりません。善に挑戦しましょう。悪に挑戦すると最後は刑務所です。
ダイヤモンド魂になれると約束された「石ころの甚八石」
⑭【このホームページの情報・観念は自分の頭でよく考えて(=自分の歯でよく噛んで咀嚼して)自分のモノにしなければあなたの血肉にはならない】・・・・(「言い聞かせる言葉」、「思考の確認」、「最後にあなたに贈る言葉」有ります)
いままでいろいろと筆者が経験した中で得たものをこのホームページで主張しています。しかし、これらはあなたにとっては一つの参考の考え方にすぎません。またこの世の中にある本も一つの参考にすぎないのです。はっきり言ってあなたの考え方ではないのです。あなたにとっては他人の考え方にすぎません。問題はあなたがこれらの主張を自分の頭で考えて(=自分の歯で何回もかみ砕いて)自分のモノにしなければあなたのモノにならない(=血肉にならない)のです。そうしなければあなたの頭の中に自分の本当の考えが生まれません。「ただ読んだだけでは何にもならない」ということなのです。「自分の頭でよく考えること」、このことが最も重要です。食べ物でもよく噛んで呑み込むことによってあなたの血肉になることと同じなのです。よく噛む咀嚼(そしゃく)の工程を省略すると消化不良になるだけなのです。よく考えて最終的にあなたの頭の中に何が生まれるか、それが問題なのです。他人が主張していることをうのみにするのではなく、そのことを参考にして、「自分だったらこう思う」というモノを引き出すことによって「問題解決の光」が見えてきます。
今のあなたは現状を打破するための自分の考えがない状態だと筆者は推測します(もしお持ちであるならばお許しください)。人間は「自分の考え」でしか生きられません。そういう生き物なのです。人生を決定するもの、それは「自分の考え方」です。自分の考え方の選択によってあなたの人生は決まります。そのことを頭に叩き込んでおいてください。もし、すぐに「自分の考え」が生まれなければ、時間が解決してくれます。「自分の考え」が生まれるには時間が必要なのです。その条件は「問題意識」を持ち続けることです。そうしていると、ある時自分の考えが「フゥー」と生まれるものなのです。その時が一つのチャンスです。
しかし、人間の個性は1,000人いれば1,000の個性があります。顔がみんな違うように個性もみんな違います。ピーマンが嫌いな人もいれば好きな人もいます。ステーキが好きな人もいれば嫌いな人もいるのです。あの人は好きだ、という人もいれば嫌いだという人もいます。人間の個性はみんな違うのです。ですから人によっては時間がたっても何も考えが生まれない場合もあるのです。そういう時は「頭の中を空っぽ」にして何もしない方法もあります。人生の答えは一つではないということです。無数にあります。我々は小さい時からテスト教育によって「正解というものを出さなければならない」という観念を刷(す)り込まれています。そのために何か答えをすぐに出さなければならないという一つの強迫観念めいたものを持ってしまいます。しかし、真実はそんなことにとらわれる必要はありません。何か答えを出さなければならないという観念をここで一旦白紙にして、頭の中を空っぽにしてみる生き方もあります。人によっては人生の答えを見つけるために自転車で日本一周の旅に出たり、世界一周の旅に出たりする人もいます。ですから焦る必要はまったくありません。「人生の答えは一つではない」という心の余裕を確保しておきましょう。頭を空っぽにして自分が出来る範囲の何らかのアクション等(自転車で日本一周の旅や、各都道府県一周の旅等)を起こして人生の答えを探してもいいのです。このような大げさなアクションでなくても簡単なアクションでもいいのです。
◎下記の言葉をいつも自分に言い聞かせて生活して行ってみてください。きっと心に何か変化が現れるかもしれません。
(言い聞かせる言葉)
『このまま座して死ぬわけにはいかない』
『人生は勇気をもって挑(いど)まなかったら、人生を棒にふることになる』
※「座して」とは「何もしないで」という意味です。
「人生は勇気をもって・・・」の言葉はアメリカのヘレン・ケラー(1880年~1968年,アメリカ合衆国の教育家、社会福祉事業家)の言葉です。ヘレン・ケラーは2歳のときに高熱にかかり、一命はとりとめたものの聴力、視力、言葉を失い、話すこともできなくなるという三重苦という困難に陥りました。しかし、家庭教師として派遣されたアン・サリバンは幼少のころに弱視だった自分の経験を生かしてヘレン・ケラーにしつけ、指文字、言葉を教え、ついにヘレン・ケラーは壮絶な闘いの末に、話せるようになって立ち直ったのです。「勇気をもって挑戦しない人生は、何の意味もなく、その人生は棒に振ることになる」と彼女は言い切っています。
◎ 思考の確認・・・・・今あなたが北海道の札幌市に住んでいるとしましょう。今どこにも出かけたくない精神状態が「引きこもり」です。しかし、こんな状態では何も人生は進まないと考えたあなたはまずは東京に行こうと思いました。この例から思考の確認をしてみましょう。
①現状を何とかしなければならないと考えた。
②そして目的を考えた。
参考・・晩年になって「俺(私)の人生は一体何だったんだろう」と思わない為に
③その目的を達成するにはまずは何をしなければならないかを考えた。交通手段はどうするのか。その費用はいくらかかるのか。そしてその交通手段の各々は何時に出発するのか。着いたらどこに泊まるのか。費用はいくらかかるのか等々とやらなければならないことが多くあります。
このことから分かることは
No1 問題意識
No2 目的発見
No3 決意(決断)
No4 達成までの方法
No5 実行
このことから何が分るのかというと、それは「頭を使わなければならない」と言うことです。使わなければ人間はなにも出来ません。
結論・・・・まずは頭を使うことを決意(決断)することです。全てはそこから始まります。頭を使うことは「考える」と言うことです。
人間は考える葦である
◎ 人生とは?・・・・又朝が来た。一日パチンコをしていても必ず夜が来る。一日寝ていても必ず夕方が来る。一日馬鹿になって働いても必ず夜が来る。一日魚釣りをしていても夜が来る。一日どこかへ遊びに行っても必ず夜が来る。一日ゲームをやっていても必ず夜が来る。日が昇り、お天道様が真上に来て、そして西へと沈んでいく。それが一日の約三分の一だ。それを約46億年間繰り返している。人間は生まれて約80年から90年で必ず死ぬ。その前に災害や、病気、事故等で死ぬ人間も多くいる。いつ自分もその中に入るか分からない。人生とは何をやっても必ず終わりがあるということだ。だから、今、何をやっているかが大事だ。
人間は必ず死ぬ、だから私は人生を後悔しないために少しでも前向きに生きる
◎ 毎日、スマホでゲームをしていても、人間必ず死ぬ時が来る!!
◎ 毎日、飯(めし)を食って横になっていても、人間必ず死ぬ時が来る!!
◎ 毎日、テレビを見ていても、人間必ず死ぬ時が来る!!
◎ 毎日、ただボゥーとしていても、人間必ず死ぬ時が来る!!
・
・
だから私は、今後少しでも前向きに生きていく※ の方向に
舵(かじ)を切ります。
実行してみませんか・・・・・・
※ の中に具体的なものを入れて毎日上記文章を最初から声を出して読んでみてください。心に変化が現れるかもしれません。あなたの周りに江戸時代生まれの人はいますか。また、斎場では一日おきぐらいで(中には毎日)葬式が行われています。いつかあなたに必ず順番がまわってきます。さぁ、今から命に火をつけて何かに燃えませんか。ぐずぐずしていると「はい、時間となりました」となって、あなたの人生物語は「終わり(The End.)」となります。
脳細胞とお金を床の間に飾っておくな!!
「最後にあなたに贈る言葉」
「世の中道場」という大舞台へ一歩踏み出しましょう。その勇気があなたを変える。この世の中で最初から勇ましい人間は一人もいない。みんな不安で怖いのです。しかし、その心を受け入れて一歩前に進むのが勇気です。
まだ見ぬ未来は、あなたの心の中にある。勇気のスイッチをON(オン)にするかOFF(オフ)にするかにかかっている。希望は心の中にある。
※ 人生の推進力を「やる気」ではなく「その気」にしましょう。それはなぜか?・・・上記に「一歩踏み出しましょう」と簡単に書きましたが、あらためてここで一歩進むための「人生の推進力」というものを考えてみましょう。例えば車はエンジンという推進力がなければ、たとえ一メートルでも動くことは出来ません。人間も同じで、たとえ一歩でも推進力がなければ一歩も進めません。それでは人間のエンジンは何でしょうか。それはずばり「気」です。「気」をここで説明すると、とんでもないことになってしまうので省略します。
よく我々は「やる気を出せ!!」「やる気がないのか!!」等と言います。この「やる気」すなわちモチベーションは「うまくやり遂げることが出来るかどうか」で決まるのです。「うまく出来ない不得意なモノ」とか「分からないモノ」については「やる気」は起きません。厄介なことに「やる気」は大きなエネルギーが必要なのです。大きく構えないといけないのです。ですからここで「やる気を起こせ」と簡単に言うわけにはいきません。しかし、人間は車と同じく「気」というエンジンの推進力がなければ一歩も前進出来ませんので、推進力を「やる気」以外に考えてみる必要があります。そうすると「その気」というものが浮かびます。「やる気」は大きなエネルギーが必要ですが「その気」は自然体で出来ます。すなわちエネルギーはほとんどいらないということになります。大きく構えなくてもいいのです。ですから今、引きこもっている方は「やる気」ではなく、「その気」になれる何かを見つけたとき勇気を出して一歩前進しましょう。そうすれば自然に進むことが出来ると思います。人間、やる気の「気」ではなく、その気の「気」というエンジンで人生を前進させましょう。
・
・
・
・
※ 「心を動かせる自分以外の何かを愛しましょう!!」・・・今あなたが「精神疾患」や「発達障害」で引きこもっていない場合、親や友達やその他の人々がいろいろとあなたに浴びせる言葉があると思います。例えば「そんな怠け者に育てたわけではない」「働かない者は飯(めし)を食うべからず」「いい年をして何をやっているんだ」「甘ったれるな」「同級生の何々はもう結婚して子供もいるぞ」等々です。あなたを何とか発奮させて心を動かそうと周りは懸命なのです。しかし、あなたの心はそんな言葉ではおそらくびくとも動きません。なぜ動かないのでしょうか? それはあなたの心にぐさりと刺さらないからです。例えばあなたの家が火事で隣の部屋まで火が来ているとしましょう。その時、家の人が大きな声で「火事だぁ!! 逃げろ!!」と叫んだ場合、きっとあなたは逃げるでしょう。なぜその言葉に心が動いたのでしょうか!! また、あなたの部屋に毒蛇が入ってきてあなたを攻撃しようとしている場合、あなたは驚いてすぐに逃げるでしょう。なぜ、どんな言葉等でも動かないあなたの心が毒蛇の攻撃で心が動いたのでしょうか? それは自分の命が危ないからと瞬時に判断したからです。自分に命の危険が迫っている場合、心は動くのです。それはなぜか? それはあなたが自分だけを溺愛しているからです。「自分ほどかわいいものはない」とあなたが思っているからです。すなわちあなたは自分以外を愛していないので何を言っても心が動かないのです。ここで分かることは、あなたは自分だけを徹底的に守っているのです。そんなことをこのような例から読み取れるのです(もし、そうでなければお許し下さい)。あなたは絶対に心が動かないのではなく、他に愛するものがないために動かないだけなのです。愛するということはどういうことか。それはあなたが持っている何かをその愛するものに分けてやることです。社会活動ということは、自分の持っている能力等の何かを他のものに分けてやることなのです。今あなたは自分の持っている能力等の何かを社会に分けてやりたくないだけなのです。そんなことをこの機会に考えてみませんか。まずは「なぜ私の心は動かないのか?」を徹底的に考えてみてください。最初はそこからです。人間は人から恵んでもらうだけで人に何も分けてやれなければ自分の心の部屋の畳一畳の世界から出られません。だから自分だけを愛するのではなく、自分以外の何か愛するものを探しましょう。そうすればきっとあなたの持っている何かを分けてあげられるようになるでしょう。すなわち社会活動が出来るようになるということです。
※ 自分を愛することは人間の基本です。自分を愛せなければ人も愛せません。
しかし、自己愛が極端な場合、心に意欲がわかない等の変化が現れる場合があります。自己愛と他人愛のバランス感覚が大切です。引きこもりの原因の一つに愛のバランスの問題があると筆者は考えています。そのために、いかにして自分以外の何かを愛せる心の状態に持っていくか、が問われているのではないでしょうか。そんなことを今、引きこもっている方は考えてみませんか。
◎この世の中でダメ人間は一人もいません。今、何らかの理由で立ち止まっている方々は、抱(かか)えている問題の解決の糸口を発見出来ないでいるだけなのです。
【「これをやれば気持ちがいい」という何かを発見しませんか】・・・
今引きこもりの方はきっと心は晴れ晴れしていないことでしょう。気持ちがなかなか晴れない毎日を送っていると推測します。まさに「引きこもり」は心の問題です。今わたしがあなたに1,000万円の札束を無条件であなたに寄付したとします。そうするとあなたの心は晴れ晴れして明日からすぐに引きこもりは解消しますか。このことをじっくり考えてみてださい。人間は「晴れ晴れする」すなわち「気持ちがいい」という経験があなたを救います。ですからこの世の中であなたの心が晴れ晴れするような何かを発見してみませんか。あなたは今、何をすれば心は晴れ晴れしますか。これは人によって違います。ですからこの機会に「心が晴れ晴れすること」を考えてみませんか。何らかのボランティア活動でもいいのです。気持ちがいい経験をするかもしれません。まずは0(ゼロ)から1(イチ)への精神で一歩を踏み出しませんか。
【収入ゼロの意味】・・・・
株式や投資、博打以外の収入は何を意味するか、ここで簡単に考えてみたいと思います。もし今あなたが農家でトマトを栽培しているとします。おいしいトマトは誰にも分けてやりたくないので独り占めして食べているとします。そうすると収入はゼロです。しかし、こんなおいしいトマトを人様にもぜひ食べてもらいたいと考えたとします。まず、やらなければならないことはどうやって売るかということです。つぎにどこで売るか、いくらで売るかです。まず、自分で直売しようと思ったとします。そうすると値段は一個100円とします。だいたい原価は40円として、もし売れれば60円の利益です。この60円が収入となります。この収入はどうして生まれたのかということです。それはあなたが人様に分けてあげようとしたので生まれたのです。分けてやりたくないと考えたとき収入はゼロです。ここでわかることは収入というのは「自分が持っているものを人様に分けてやらなければ生まれない」ということです。自分の持っている何かを人様に提供してはじめて収入になるのです。労働者であれば自分の「労働力」という商品を会社等に売ってはじめて給料という収入が得られるのです。会社等はあなたの「労働力」という商品を買ったということになります。重要なことは「自分が持っている何かを分けてやる」という一つの愛がなければ収入はゼロということなのです。ですから収入がゼロの意味は「愛を出し惜しみして何も人様に提供しないことだ」ということを意味するのです。ですからこの世の中に提供できるあなたが持っている何かを提供しましょう。そうすればあなたの世界は開けます。心の扉は開きます。小さなことからでもいいのです。あなたの持っている小銭を何かのために寄付してもいいのです。コンビニに置いてある寄付金集めの小箱に一円でも入れられるかためしてください。たった一円ですが「愛」がなければその一円をその小箱に入れられません。まずはそんな経験をしてみてください。この機会にコンビニへ行ったら寄付金用小箱を利用して人に何か分けてやろうという意識を持って「心の訓練」をしてみてください。そんな経験をしながらここに書いてあることを何回も読んで「人様に何かを分けてやること」ということの意味を何回も考えてみてください。まずは、考えることです。すぐに実行しろということではないのです。なぜこのページで何回も考えろ、考えろと言っているのか。それは、人間は自分が考えたことしかできない生き物だからです。頭の中に何を考え、何を思い描くことができるか。それがあなたという人間を創るからなのです。問題を解決できるのはあなたしかいないのです。あなたが考えた結果、何に気付くかです。
児玉春信
もし、あなたが「憎悪」をためこんでいるならば
人生の「壁」はなぜ存在するのか? それはその「壁」を破るために存在する 「壁」があることは、今、あなたにチャンスが与えられていることなのです 「引きこもり」はあなたが大きく飛躍するためのエネルギー充電タイムだ 新たな生き方を見つけろ!! その気になればあなたは出来る!!
【我々は意外と自分のことを棚に上げて、他人のことを頻繁に責めたりします。自分以外に責任転嫁をしてしまうのです。「自分は正しい。他人が間違っている」となるのです。そういう場合もきっと中にはあるでしょう。しかし、一般的に他人に責任転嫁したほうが楽です。簡単です。筆者の主張は「楽な道を選択するな、少し苦しい道を行け」ということです。それは何も仕事(外部)だけではありません。自分の内面についても少し苦しい道の「自分を徹底的に見つめ直すこと」も入ります。自分の内面を見つめ直すことはなかなかつらいことです。そのつらいことをこの機会に「今自分がこういう立場になっているのはなぜか」を自分の内面に光を当てて考えてみませんか。そうするときっと自分が「巧妙な言い訳の名人」「依存・甘え体質の人間」であることに気付くでしょう(※これは筆者の経験からの答えです。もしかしたらあなたは違うかもしれません。その場合はお許しください)。すなわち、本当の敵は自分だったことに気付くのです。以外と自分のことが分らないのが人間です。この機会に「自分と真剣に向き合って本当の自分の姿」を発見してみませんか。そのためには本も読まなければなりません。なぜならば人間は考える葦だからです。この際、自分の内面について考えて、考えて、考え抜いてみませんか】
通り魔等になって破滅しないために(一つの道)
まずは自分の内面を徹底的に見つめなおしましょう
最初に戻る(引きこもりに関する一つの見解へ)
人間、ゴロゴロしていても、プラプラ遊んでいても必ず死ぬ。ならば一念発起して「ど根性物語」を創造し、今の負の壁を吹っ飛ばせ!! 長い人生の中で一回は思い切って「ど根性爆弾」で爆発せよ!! 人生は苦しいのが当たり前なのだ。だから「苦」からくる様々な「壁」は自分の「ど根性」でぶっ飛ばすしかないのだ。そして何かに取り組んだ時、新世界が開く。
※ 他人から光(マイナスの影響力)を受ける星(受け身の人間)から、自ら光る太陽(プラスの影響力を発する主体的人間)になれ!!
⑮参考・・・【引きこもりの一つのとらえ方】
多くの方は子供のころ魚釣りの経験があると思います。この魚釣りも、糸がからまないでまっすぐになっているときは、スムーズに魚釣りができます。しかし、何らかのトラブルが発生して、糸がこんがらがって魚釣りができなくなることがあります。この時、あわてて早くこのからまった糸を直そうとして急ぐと、ますますこんがらがっていきます。ちょうど引きこもりもこれと似ているような気がするのです。なんの問題もなくスムーズに生活していたのが(魚釣りを楽しんでいいたのが)何らかのトラブルなどが発生して頭の思考が(糸が)、こんがらがって訳が分からなくなってしまった(糸がからまって、ぐちゃぐちゃになり、まっすぐにならなくなってしまった)のと似ています。こんな状態になってしまって普通に生活できなくなってしまった(魚釣りができなくなってしまった)ということです。
魚釣りの場合、このからまった糸を直すには冷静になり、根気強くからまった糸をよく見て一つ一つのからまった場所を特定して糸をまっすぐに直していくしか方法はありません。急いでまっすぐにしようと思っても、あせればあせるほど糸はこんがらがっていきます。引きこもりも思考という糸がこんがらがった場合、その思考を正してまっすぐに直さなければなりません。
それではこの人間の思考の糸をまっすぐにするためにはどうしたらいいのかということです。筆者が考える一つの方法は、
① まず、魚釣りと同じく冷静になり、今の自分の存在の原点をたどってみるということです。
② 今、自分が生きているということはどういうことなのか、ということを探る旅をするということです。今ある命の原点をさかのぼってみるということにほかなりません。まず、両親がいて、その両親にもそれぞれ親(祖父、祖母)が存在しています。そのおじいちゃん、おばあちゃんにもそれぞれの親がいたわけです。そんなことをさかのぼっていくと最後には人類の起源にたどり着きます。
③ そんなあなたの先祖をたどっていくと、あなたの命の存在が奇跡といってもいいということが分かります。例えば今から2,000年前の弥生時代の中期あたりまでのご先祖様の数は何人か、を計算してみましょう。一代の寿命を「70歳」で前の代とかぶっている期間を「20年」と仮定した場合のご先祖様数は1兆995億1,162万7,776人(1,099,511,627,776人)です。たった2,000年前でこのようなものすごい人数です。今から1万6千年前の日本の旧石器時代の終わり頃までのご先祖様数はとんでもない人数になることは一目瞭然お分かりになると思います(前の条件で計算すると2の320乗人です。2の320乗人は2,135,987,035,92 0,910,082,395,021,706,169,552,114,602,704,522,356,652,769,947,041,607,822,219,725,780,640,550,022,962,086,936,576人です)。今天文学的人数のご先祖様の遺伝子を受け継いだあなた一人がここに存在しているということは、天文学的人数の人たちの命のリレーが完全に行われてきた結果なのです。そんな中でご先祖様の一人でも存在していなければ、今の顔をしたあなたは存在していません。まさにあなたの存在は奇跡と言ってもいい理由がここにあります。
④ そんなことを考えてみると、ご先祖様に自然と感謝したい気持ちになりませんか。人類の起源までさかのぼれば、まだまだ多くのご先祖様の人間が存在していたことになります。あなたがここにいるということは数えきれない多くの人間がいたので、今ここに存在しているわけです。
⑤ 何も人間だけではなく、この世界のあらゆるモノの原点の元素も同じことが言えます。あらゆるモノを構成している元素の水素、酸素、窒素等々です。この元素の構造は、原子核(プラスの電子の電荷をもつプラスの陽子と中性子でできています)を中心にして、その周りをマイナスの電荷をもつ電子(マイナス)が回っています。あらゆる元素は、原子核の周りに何個の負の性質を持つ電子が回っているかで決まります。俗にいう元素記号というもので表されています。核の周りを回っている電子は何と秒速2,000キロメートルで回っているそうです。ものすごいことが分かりました。
⑥ このようにはっきりとまっすぐに元素の正体が分かった時「そうだったのか、なるほど」となりませんか。人間も自分の正体がまっすぐに分かった時、思考の糸がまっすぐになりませんか。とんでもない人数があなたの存在のために必要だった、ということをまっすぐに理解できたとき、今与えられている時間と命を大切にしたいという気持ちが起きませんか。また、有限な自分の命をプラスの方向に使いたいという気持ちは起きませんか。
⑦ この機会に、自分の存在をまっすぐに見直してみませんか。見直すために一番大切なキイワードは、ここで赤く表記してある「まっすぐ」です。変な話、仏教の「お経(きょう)」の「経」はまっすぐという意味です。人間の心の迷いと苦を取り除き、邪悪でひねくれた曲がった心をまっすぐにするということです。糸(思考)がぐちゃぐちゃになったら「まっすぐ」にすればすべてすっきりするのです。まさに迷いと苦を取り除いた状態になるということです。
⑧ 以上のことから、今引きこもりの方は、以前人一倍繊細で感受性が強く「まっすぐ」な素直な人間だったのではないかと推測します。そのために何らかの原因で人一倍深く傷つき、この世の中が、わけがわからなくなってしまい、思考の糸がからまった状態になってしまったということではないかと筆者は考えます。これを直す一つの方法はあなたの頭の中に眠っている“ど根性魂”を「プラスエネルギーキャラ軍」でたたき起こし、闘争心に火をつけてそれを爆発させ、引きこもりの壁を突き破ることです。そうすれば以前のまっすぐな自分を取り戻せるのではないかと考えています。
人間、誰もが生きていれば何らかの壁に直面します。そしてその壁を自分なりの方法で突き破って生きて行きます。人生はそんなことの繰り返しなのです。みんな何もなかったような顔をして生きていますが、みんな大なり小なりの悩みや苦しみを抱えながら、それを乗り越えて懸命に生きているのです。人間、本当は本来弱いのです。しかし、いろいろな経験をして強くなっていくのです。人生の中での「引きこもり」はその中の一つの経験です。ですから今は「大きく成長するための充電期間だ」くらいに考えて、このHPを参考にしてあなたなりの新しい生き方を発見していただければ幸いです。60歳や70歳だろうが80歳だろうが志(こころざし)を立てるのに年齢は関係ありません。死ぬまで挑戦です。そんな気概を持って生きて行きましょう。最後まであなたは人生丸の船長です。最後の最後まで自分で考えて決断していくしかないのです。そして、何もしていないときは、頭の中に自分が引きこもりから脱出して主体的にバリバリ働いている姿をイメージする「イメージトレーニング」を時々やってみましょう。これは一人で出来ます。そんなことをやっているうちに「何とかしなければ」という気持ちが起きてくればしめたものです。
参考・・・「0(ゼロ)から1(イチ)」へ挑戦しよう!! 人生、無心で「方向転換」という一本を決めよう!! 前を向いた者だけにしか光は差してくれない。
“人生は度胸を試(ため)す土俵だ”ということに目覚めよう!!
以上
⑯総括・・・・これまでいろいろと考えを表明してきましたが、
ここで簡単に総括してみたいと思います。今、世界中の人間や、動物、鳥、魚など多くの生き物が地球上で活動しています。それではこれらの生き物はなぜ活動しているのでしょうか。その答えは「命」をこの地球という惑星によっていただいたからです。なんてことはないのです。ただ「何か」に、地球によっていただいた命を燃やしているだけなのです。この「燃やす」ということが大事なのです。世界中で引きこもっている人たちは「何か燃やすモノ」に出合えば引きこもりは解消されます。だからその「何か」を発見してください。今引きこもっている人たちは人間的に劣っているわけではないのです。ただ、「何か」を発見できないでいるだけなのです。昔、「燃えよ、ドラゴン」という映画がありました。いま声を大きくして言いたい、それは「燃えよ、引きこもりの人たちよ!!」です。
※これだけの時間をかけてあなたは今ここに存在しています。そんなあなたのやるべきことは何ですか?
● そう言われても今の社会なんでもあって難しい、と言われるかもしれません。確かにモノはあふれています。しかし、あふれているから大いに可能性があるのです。この世の中は資本主義社会がほとんどです。資本主義社会とは日々新しいモノが誕生している社会なのです。例えばあなたのはいている下着の「パンツ」一つとってもまったく新しいパンツを考えることもできます。既存のあらゆるモノは人間の新陳代謝と同じく日々変わっていくのが資本主義なのです。だから面白いのです。新しいモノは市場を開墾すなわち開拓していくことによって世の中に広まります。ですからあなたにしかできない何かが必ず存在しているのです。それはいつひらめくかは分かりません。ワットがやかんの蓋(ふた)が蒸気で上に上がるのを見ていて「蒸気機関」を誕生させました。ニュートンはリンゴが下に落ちるのを見ていて「万有引力の法則」を導きました。やかんの蓋が上に上がることや、リンゴが下に落ちる双方の動きは数えきれない多くの人間が見ています。しかし、「ピーン」と来たのは上記の二人です。だから何に「ピーン」と来るかは誰も分かりません。しかし、いつか何かに「ピーン」と来て、何かをひらめいたとき、今をおろそかにしていると、そのひらめいたモノを自分のモノにできません。だから今本を読んだり、勉強したりして自分を磨いて、その時に力を出せるように実力をつけておく必要があります。よって今「のほほーん」としていられないのです。やることは山ほどあるのです。
もう一度自分の「本当のこころ」を点検してみよう・・・・
ここに記したように、あなたは、本当は「行動力」のない人ではないのです。「火事だ!!」「毒蛇だ!!」となったら即座に行動できるように、あなたはその気になったら即座に行動できます。よく引きこもりの人が言う言葉に「頭では分かっているが行動ができない」というのがあります。これ自体はどんな人間にもよくあることです。何ら不思議なことでもなんでもありません。もちろん筆者にもあります。なぜ行動ができないか? それは「動機」が存在していないからです。俗に言う「怠(なま)け病」でもありません。人間が行動を起こすには「動機」が必ずあるのです。今あなたが引きこもっている(これも一つの行動)のにも何らかの「動機」があります。必ずあります。人には絶対言えない何かがあるのです。もしかしたら親に対する反発かもしれません。社会に対する無言の抵抗かもしれません。何かの復讐かもしれません。だれかを責め続けているかもしれません・・・等々。あなたはそんな何かを心の奥底に大切にしまっているのです。今はそれがなんであるか分からないかもしれません。先ほどの「火事だ!!」での行動の動機は「命がなくなったら一巻の終わりだから」です。この機会にもう一度今引きこもっている本当の動機の「何か」を徹底的に見つけ出してみませんか。そしてそれを検証してみませんか。その心の奥底にある本当の動機の価値を考えてみませんか。そうすることによって変われる可能性があります。「本当の自分を知る」このことはやり直すためのスタートラインになります。
人間は人のことは良く分かります。しかし、自分のこととなるとなかなか分かりません。ですから今引きこもっているこの機会に「自分の本当のこころ」を見つめ直す「行動」を実行してみませんか。この行動の動機は「生まれ変わるため」です。
地獄が「成長の一丁目一番地」に変わる
一つの結論・・・・上記の心の点検から見えてくるもの
あなたは「火事だ!!」「毒蛇だ!!」で即座に逃げる行動ができることが分かりました。そこからその行動の簡単な分析をしてみると「無我夢中」で逃げる姿が浮かびます。この「無我」は「自分というとらわれを離れること」です。すなわちこれは自分を超えたという境地です。すなわちここに引きこもりの方の進むべき一つの答えが示されていると思うのです。なぜならば、引きこもりは自分というとらわれから離れられないためにおきているからと考えるからです。よって無我夢中になれる「何か」を発見し、それをやれば引きこもりは解消するものと思います。職業としての候補は一人で打ち込んでできるものがいいのではないかと考えます。例えば芸術家です。洋画家、日本画家、陶芸家、ピアニスト、何らかの職人等々です。対人関係を伴うものでなく、一つの作品を創造する職業がベストではないかと考えます。
「自分を超える」ということが引きこもりの方はできるのです。そんな観点から今後は自分に合った仕事を見つける努力をしてみませんか。自分に合った仕事とは、自分が「無我夢中になれるモノ」ということです。これが引きこもりの方が生きていく一つの方向性ではないかと思います。「よし!! これから一生かけて私は何々を極める」こんな決断をしてもいいと思うのです。
参照・・・命
※人生、失敗が何だ!挫折が何だ!いじめが何だ!引きこもりが何だ! そんなすべての人生のマイナスをもろともせず前に進もうじゃないか!!
解説・・・・「もろともせずに生きていく」とは?
人生のあらゆるマイナスに対してどういう態度で向き合えば、そのマイナスを料理(=解決)できるのか、ということです。要は、人生は問題に飲み込まれるか(=ほんろうされ悩み苦しむか)。逆にその問題を料理しておいしく食べてしまうか(=栄養にして成長するか)、のどちらになるかということです。この世の中を海の中にたとえれば、その海の中には「失敗魚」「挫折魚」「不安魚」「孤独魚」「いじめ魚」「いやがらせ魚」「暴言魚」「引きこもり魚」等々あらゆるマイナス魚が泳いでいるのです。どんな魚に遭遇するか分かりません。ですから普段から、どんなマイナス魚に遭遇しても、慌てずにその魚をすぐに料理して食べて栄養にし、成長していこうという態度で生きていく、ということが「もろともせず」という生き方です。出現してくる諸問題に対してどういう態度で向き合うかによって人生は決まるといっても過言ではありません。「諸問題よ、いつでもわたしにかかってこい!! いつでも相手になるぞ!!」というぐらいの気概をもって生きていきましょう。
完
【人類の光と影】
あなたの人生を「守る」「支える」「応援する」商品群紹介 児玉春信
人類は大きくまとまろうとする寛容という精神は、必ず「個の力(又は個別の国の力)」を削(そ)ぐ場合があります。それは人類の影でありマイナス面です。そのために「過度の固執」が起きる場合があります。今世界では極右勢力が台頭してきています。これらはその初期現象としてとらえることが出来ます。人類は過去において「過度の固執」によって大きな虐殺事件も起きています。今起きているテロ事件もそんな「過度の固執」によって起きているのです。それらは人類の影の部分に入ります。その影は寛容さを許せないのです。
人類の「個の力」は人類の発展の原動力になってきたことは間違いありません。産業革命以来人類はすさまじい速さで発展してきました。そして莫大な富を得てそれを原資にしてさらに大きく発展しているのです。これは人類の光の部分です。人類の光は大きくまとまって光り輝くものではないのです。個別の国や個の力という最小単位の中でまとまった場合、大きなパワーとなって光り輝くのです。そのことを経験した人類は大きくまとまろうとすることに対して自然と反発するのです。
日本では昔から「仏の顔も三度まで」ということわざがあります。人間は良い顔ばかりはできない、ということを言い当てていることわざです。「良い顔」とは何か? それは他人に対するサービス精神旺盛な顔ということです。それには限度があるということを言っています。要は他人のことばかりに関わってはいられない、ということなのです。自分が一番だ、ということに回避してしまうのが人間だ、ということなのです。自国一番等々と何々ファーストがはやり始めました。世界の流れは仏の顔の時代は終焉(しゅうえん)したと言っているようなものです。これは個の力、個別の国の力で勝負したいという欲求が人類の心にまた、芽生えてきたことを意味します。それは栄光の光を得たいという願望でもあります。求めているのは光なのです。
しかし、人類が産業革命以来、光を求めてきた結果はどうなったのか。それは「地球温暖化」を招いてしまったのです。この問題を甘くとらえることは出来ません。深刻な問題を提起しています。それは自国だけ繁栄すればいい、ということは許されないことを意味しているからです。何々ファーストは許されないということなのです。そのことに人類は気付く必要があります。そして人類全体を観なければならない時代を人類は迎えているということを意味します。過去の栄光は人類全体を観なくてもよかったのです。しかし、現在は違います。人類は必然的に一つにまとまらなければならない時代に突入したのです。一つにまとまるにはどうしたらいいのかはここをご覧ください。
人類は「寛容」という光を発すればその影として「過度の固執」という影を創り、「栄光」という光を発すれば「地球温暖化」という影を創るのです。人類が今直面している問題は人類の未来をも決定していくものです。その最たるキイワードは「寛容」を選択するか「非寛容」を選択するかのどちらかです。中間はないのです。今人類は心が揺れ動く時期を迎えています。しかし、最後は大きな決断をしなければならないのです。大きな決断は影を創らないと考えます。中途半端の決断は影を創ると考えます。人類は今正念場を迎えているのです。大きな決断に失敗すると取り返しのつかない未来が待っているような気持ちになります。大きな決断とは何か?
それは大きな大切なモノを捨てることです。今人類は捨てる時が来たのです。捨てた時人類の未来像がはっきり見えてくるはずです。この機会に「人類の光と影のこと」を考えてみませんか。
人類の心は揺れ動いている
あなたの人生を「守る」「支える」「応援する」商品群紹介
◎人類の叫び・・・(いろいろな考え方があるのでまとまらない)
No1. 先進国ばかり良い思いをして何だ!! これからは後進国の我々が良い思いをする番だ。
No2. 地球温暖化は先進諸国が招いたものだ。責任は先進諸国にある。
No3. 地球温暖化は根拠のない妄想だ。
※ 現在、立場よって様々な意見が飛び交っています。しかし、筆者が感じることがあります。それは37、8年前までは夏の午後2時から3時の間に外で帽子をかぶらずに魚釣りが出来たのですが、しかし今は2分ぐらいの短い時間でも暑くて魚釣りは出来ません(筆者の故郷の新潟での体験)。これは事実です。
◎人類が二酸化炭素をまとめて地中に埋める技術などの処理技術を開発すれば地球温暖化を防ぐことが出来る可能性があります。
科学者からのメッセージの要約
No1. 2019年の今から10年の間に何も手を打たないと地球環境は取り返しのつかない状況になると警告しています。
No2. 地球環境は2019年からあと10年が勝負ということです。
No3. 人類はあと10年間に地球温暖化を人類一丸となって防ぐ必要があると言っています。
No4. 人類はのんきに構えている時間はないということです。
人類は「分かっちゃいるけどやめられない」という性質を持っています
筆者が子供の頃、植木等さんの歌に「スーダラ節」という歌が流行していたのを思い出しました。それは「♪♪・・・・♪分かっちゃいるけどやめられない、♪♪すいすいスーダラだった、すらすらスイスイスイ♪♪♪・・・」という歌でした。人間は頭では、やってはいけないことを理解していたとしても、それをやめられない」という性質を持っています。これはちょうど肝臓が悪くて入院していてもドクターストップがかかっているのにかかわらず酒が好きで医者の目を盗んでは酒を飲むようなものです。死ぬという結果は分かっていても止められないのです。頭では酒を飲めば寿命が縮まるのは分かっているのですが、酒を止められないのです。地球温暖化の阻止もこのような一面があります。人間の業というか欲というかそういうものが立ちはだかっているのです。何事も『スパッ!!、スパッ!!』とはいかないのが人間です。それはいろいろなしがらみもあるからです。そしてそこには「三度三度のお飯(まんま)」を食べている人達が大勢いるからです。人類が発見した「化石燃料」で命をつないでいる人たちが大勢いるということです。そのために「スパッ!!」と化石燃料を捨てる事は出来ません。これが現実なのです。
他人がどうなろうと知ったことではない、という性質を持っている
我々人類は心が温かいのを持っている反面、冷たいところもあります。例えばニュースで「何々の国に大地震があり、5千人が死亡しました」とか「何々の地方に大洪水があり、300人死亡しました」とかのニュースを聞いても「たいへんだなぁ」「気の毒に」とか「運が悪いなぁ」とはよく聞くことです。そうなのです。人間は自分のところに直接被害のないものは「他人ごと」なのです。なかには人の不幸を「知ったことではない」と切り捨てる人もいます。人間は自分のことで精一杯で人のことにかまっていられないのです。この地球温暖化も直接自分の所に被害が出ないうちはそんな傾向が強いのも事実です。
しかし人類は「地球温暖化」は進んでいるということを感じています。そのために世界は「脱炭素社会」へと進んでいるのです。いよいよ2050年までに二酸化炭素排出量ゼロ目標が掲げられました。数々の困難は予想されますが、世界の流れは確実に「脱炭素社会」へと進んでいます。そしてその流れの中で新たなビジネスチャンスも生まれているのです。例えば自動車も大メーカーでなくとも技術さえあれば個人でも電気自動車は造れる時代なのです。
提案
「地球温暖化」という呼び方を変えて「地球灼熱地獄化」とした方がいいのではないかと考えます。「地球温暖化」と聞いて危機感は伝わりますか? 筆者はこの呼び方がどうも優しすぎると思っています。みなさんはどのように考えますか。よく聞く言葉に「ここは温暖ないいところですよ」とか「ここは温暖で人が住むには最高よ」等があります。人間にとって温暖とは「心地よく、人間にとってちょうどいい」という意味を持っているのです。だから、温暖化という言い方はやめたほうがいいと考えます。
|